2018年12月30日日曜日

「平成天皇」と「沖縄」

1945年6月6日。沖縄根拠地隊司令官の太田實中将は本土の海軍次官に宛て打電した。

“本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが、相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅かに身を以って軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難、尚、砲爆撃風雨に曝されつつ、乏しき生活に甘んじありたり。

 しかも若き婦人は、率先軍に身を捧げ、看護婦、烹炊婦はもとより、砲弾運び、挺身斬り込み隊すら申し出る者あり。

 所詮、敵来たりなば、老人子供は殺されるべく、婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、親子生き別れ、娘を軍衛門に捨つる親あり。

 さらに、軍に於いて作戦の大転換あるや、自給自足、夜の中に遥かに遠隔地方の住民地区を指定せられ、輸送力皆無の者、黙々として雨中を移動するあり。

一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみなりという。

沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを“


大田中将は打電後、壕の中で自害した。
いわば遺言とも言うべき「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを」という遺志は生かされたのだろうか。否であった。

戦後、沖縄県から全国高校野球に参加が認められたが、負けた彼らは甲子園の土を故郷に持ち帰ることは許されなかった。
沖縄は未だ「日本」では無かった。施政権を持たなかった。米軍の検疫は「土」をも許さなかった。

いつの間にか米軍基地が70%を占めるに至った。

終戦時、皇太子だった平成天皇は11歳。疎開先からもどって聞かされたであろう「沖縄」についてはさしずめ心を痛められたのだろう。

皇太子妃を得てから、天皇になってから、沖縄を11回、慰霊の訪問をされている。
大田中将の“遺言”を実践するために。

これは勝手に想像した「天皇と沖縄」である。

天皇としての最後の誕生日の記者会見で天皇が述べられた言葉。
「沖縄は先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解する様に努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いはこれからも変わることはありません」。


民主党政権時、首相だった菅直人は「いま“琉球処分”という本を読み、沖縄について勉強しています」と国会で答弁した。彼は何を学んだのか。

安倍晋三は正月休みに本を読むと言って、百田尚樹のコピペだらけの「日本国記」を机の前に並べて悦に入っていた。

象徴という天皇をどう理解すればいいのか。
憲法第1条。天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって・・・とある。
象徴の意味を一番理解されているのは天皇自身では無いのか。

美智子妃が沖縄について詠まれた歌の一つ。
<雨激しくそそぐ摩文仁の岡の辺に傷つきしものあまりに多く>

大田司令官の三女、愛子さんの詠める歌。

<身はたとへ沖縄の野辺に朽ちるとも祖国守ると父は逝きにし>


今年最後の駄文でした。

2018年12月23日日曜日

その車狂暴につき

高速道路での「あおり運転」で夫婦が亡くなった事故。
道交法含め、関係する法律の不備。
停車は運転ではないとか、危険運転致死傷罪の絡みとか。
納得できない点が多い。
高速は「最低限スピード」が規定されているはずだ。
駐停車禁止のはずだ。

法律はすべからく万能では無い。抜け穴だらけだ。抜け道だらけだ。
そして、実態、実情に即していない。

かつて田中角栄に言われた。
「キミたちもっともっと法律を勉強しろよ。今の法律は抜け穴だらけだ。
明治の時代にできたものが今も大手をふってまかり通っている。
役人は見て見ぬふりをしている。
ワシが多くの議員立法を提出したのも、法律が追いついていないからだ」。

この言葉、「あおり運転」裁判の状況を言い当てているような。

最近乗ったタクシーの運転手が言っていた。
「あの事件の前から、あおり運転は多くなっていますよ。クラクションは鳴らすし、割り込むし。なんかみんなイライラしているような。
どうしてなんでしょうね」と。

たしかに、老若男女、車の運転が乱暴であり、他の車に敵意を持っているかのような光景を目にする。いや、実体験もした。

ウインカーを出さないで右左折していく車。これが多いのには30年前に驚いた。タクシーの運転手もそれを指摘していた。

家の前の道路はもともと農道だ。そこを抜け道に利用している人が多い。
地域の人たちは暗黙の了解で、すれ違い方、退避方法を心得ている。
抜け道族はダメだ。がむしゃらに突っ込んでくるのはしばしば。
そして面突き合わせた様にいさかいが起きている。

一種の“社会契約”が破られているの感。

日暮れが早いこの頃、夕方から夜。車の運転はしないことにした。
対向車のライトが眩しすぎて前を見ることすら至難なのだ。
LED電燈をつけているからだ。
新性能の車が連日CMで流れている。新型の車も。
そのスタイルは「恐ろしい形相」をしている。
強さを誇示するかのように、とにかくライトが明るい。いくつもの形のサイドもののようなライトが付いている。
異形の車。

そこのけそこのけくるまさまのお通りだ。

しかも、いつ道交法が変わったのかわからないまま走行中は「上向き」というのが正解らしい。
昔は、市街地では下向きと教えられており、上向きライトにはパッシングして“警告”したものだが・・・。
LEDライト礼賛記事がどこかに載っているのも見た。
明るさと危なさは別問題だ。

ぼやいてもなにしても車社会からは生活手段として逃れる訳にはいかない。

科学文明の進歩は危険を連れてやってくる。こう言うは大袈裟か、時代遅れ人か。

2018年12月21日金曜日

「沖縄」と「福島」と

沖縄には在日米軍の70%の基地がある。
それらの土地はいわば「強制収用」によって出来たものがほとんどだ。
少なくとも直近の二度の知事選で、多くの県民の「ノー」の意志は示されている。
しかし国はその「民意」なるものを一顧だにしない。

すべてを「抑止力」という言葉で片付けようとする。
「抑止力」とはなんだ。軍事力と一致させている人がほとんどだ。
そして、トランプに脅迫されたように、アメリカから大量の戦闘機を買う。

多分、これからの”戦争“は軍事力だけではあるまい。
「サイバー攻撃」がその主流になるはずだ。
中国のIT技術の進化には目を見張るものがある。
サイバー攻撃で日本の電気を数日間停めることは容易だ。
日本を「ブラックアウト」に追い込めば日本は終わりになるだろう。

日本から中国へのサイバー攻撃は可能なんだろうか。

沖縄返還時、佐藤栄作は「核抜き本土並み」と豪語した。
蓋を開けてみれば「核付き本土以下」。

沖縄の問題はその根源に「日米地位協定」がある。
地位協定を廃棄、変更しない限り、沖縄の“悲劇”は続くのだ。

日本はアメリカの属国でないにもかかわらず、その振る舞いは属国意識にかたまっているように見える。

辺野古の海への土砂投入は日本人の未来への土砂投入のよおうに見える。

最近、芸能人たちが沖縄問題で声を上げ始めた。
ローラというタレントは政権に向けてでは無く、ホワイトハウスに向けての署名活動を呼びかけている。

本土の人間は言われるほど沖縄に無関心ではないと信じるのだけど。

福島は原発事故によって、国が勝手に描いた「同心円」によって、自分たちの所有する土地を失った人がいる。
その“悲劇”は今も継続中だ。
かつて、それらの事象に“棄民”という表現を使った。

中間貯蔵施設とはいったいなんだったのだ。今も、ここ郡山で「汚染物質」の搬入のための作業が続いている。
40年後には永久貯蔵施設を作る。国の根拠の無い期限と発想だった。
福島には原発事故による土地の「強制収用」があった。
その土地の返還については「解」がない。

もし仮に、仮にだよ、最終処分場が決められたとしたら、そこではまたも「反対運動」が展開されるは必定。

沖縄では美しい海が土砂で埋められようとしている。
福島では美しい自然がプルームによって汚染された。
未だもって立ち入り禁止区域が存在する。
それは鉄条網で囲われた沖縄の基地の如くにだ。

最近、辺野古の問題で、テレビが取り上げる機会がいささか増えてきてるようだ。
その不条理についてあらためて触れ出している。
福島についてもあらためて国と東電の無為無策ぶりが表面化してきた。

日本からの原発輸入を断る国が出てきている。

国に捨てられるか、国を捨てるのか。そんなことを考えたくもないが。

問題の根底には「人のこころ」という一番大事なものが横たわっているように思えるのだが。

2018年12月8日土曜日

「ブラックアウト」で思う事

きょうは真珠湾奇襲、日米開戦の日だ。そんな日であることを承知の上で。

「ソフトバンク」が通信障害を起こした。4時間余りか。携帯は不通になった。
4時間、社会生活は混乱に陥った。

冗談で言うなら、白戸家のお父さん犬を唐草模様の風呂敷に包んで“幽閉した”かだとも言いたくなる。

障害の原因は「機器の問題」として片付けられようとしている。その原因は当時者のみにしかわからない。
英国でも同じようなことが起きたとも聞く。

今、世の中はスマホ依存症の“患者”で溢れている。もちろん、この依存症への治療法は皆無だ。
スマホが使えなくなった途端、そのユーザーと言われる人は極端な不安に陥る。
孤独感にさいなまれる。

「文明の利器」と称されるものが「人間を支配する」。その典型的な現象。
もはや、我々はそんな環境から抜け出すことは出来なくなってしまったのだ。


あるところに「スマホを捨てて街に出よう」と書いたばかりだった。
それは寺山修二の「書を捨てて街に出よう」という名言を模して書いたものだったけれど。

公衆電話は無くなって行く。ポケベルも先日その“終焉”を告げられたばかりだ。

消費税の引き上げの“対案”として、スマホで決済すればポイントが付くという愚策が飛びだしている。
国家としてスマホをまるで一時のマイナンバーのようの押し付けてくる。

スマホ難民が誕生するは必定。パソコンをいじったこともないという大臣の担当はサイバーセキュリティー担当大臣。
笑い話で済ませるわけにはいかないし。

スエーデンのエリクソン社の機器が不具合を起こした。老朽化への対応がされてなかったからだと説明があった。
世界11か国で同時発生とか。
これって企業の社会的責任が追及されて然るべきことじゃないのか。

しばらく前、地震で北海道は全域停電した。ブラックアウト。
子供の頃は停電は日常茶飯事だった。常に身近に蝋燭を持たされていた。

3・11後の首都圏のブラックアウト。

日本が他国から“襲われる”のは軍事力ではない。
サイバー攻撃、停電を各地で招来させれば、日本は滅びる。

文明の進化はおおむね禍を伴ってやってくる。もはや人類はこの文明の進化なる“美しいことば”から抜け切れない。

折しも国会ではわけのわからぬどう見ても「移民法」としか思えない生煮えの中途半端な法律が成立した。
移民排斥、外国人排斥を唱っていた「右翼」の連中はなんの声も上げない。
「アベサマ」のやることにかれらは無条件に従う。
だいたい、この法律、付け焼刃的な“人材確保”。裏で動き安倍を空きつけたのは「人材派遣」会社関係者と容易に推測できる。

生煮えの外国人の安全も担保されないこの法律。真夜中の本会議での採決。
議会制民主主義が多数決をもって成り立っている以上、国会もまた無知無謀な権力者の下では「ブラックアウト」なのだ。

この国が何処を向き、どういう国なのか。ますますわからなくなってきた。
腹を立てる日々の連続。

それにしても、テレビは今この国で起きていることをなんで解説しながらキチンと伝えないのだろう。
国会では数の原理がものをいう。
数に関係なくものを言え、権力の暴走に抗えるのはメディアのはずなのに。

昨夜、国会周辺で声を上げていた人達の様子はどこも敢えてつたえようとしていない。

2018年11月22日木曜日

「ゴーン」と「ムヒカ」

“表層的”な事だけで書く。

日産の“中興の祖”であるカルロス・ゴーンが逮捕された。
所得の虚偽申告、会社のカネの私的流用・・・。

僕には「第一印象」で人の好き嫌いを判断する”癖“がある。
ゴーンが華々しく登場した時、テレビで見た印象は下世話に言えば「インチキ臭い嫌な奴」というものだった。

僕が最初に買った車はワーゲンの中古だった。ドイツの国民車という触れ込みの。
大学時代の友人がヤナセに就職しており、その縁で買ったと言うだけの理由。ヤナセの近くにはたしかルノーがあったように思う。
ルノーは国営企業の作り出したクルマだ。

ゴーンの100億円と言う報酬額には驚いた。50億円を“脱税”にも驚き、会社のカネで海外のあちこちに邸宅を買っていたともいう。
ゴーンがもてはやされたのはコストカット、いや従業員の首切り。それを“リストラ”は言えないが。

当時解雇された日産社員はどういう思いでこの金額や逮捕劇を見ているのだろうか。

ゴーンの話を見聞きしながら、なぜかウルグアイの大統領だった、世界一貧乏な大統領として有名になった、ホセ・ムヒカの逸話を思い出していた。
彼はかつて地球環境会議でこう演説していた。

“我々の前に立つ巨大な危機問題は、
環境問題なんかではありません。
政治的な危機問題なのです。
現在に至っては、人類が作ったこの大きな勢力を
コントロールしきれていません。
逆に人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているのではありません。
幸せになるために、この地球にやってきたのです“

ムヒカの問いかけはSDGs(持続可能な開発)という言葉を含む、今の世界の在り方の向けられたものだ。

持続可能な発展と世界の貧困をなくすこと、その本音は何だと言う問いかけ。
“ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車を、
インド人が持てば、この惑星はどうなるのか。
息するための酸素が、どれくらい残るのか。

西洋の富裕社会が持つのと同じ、傲慢な消費を続けたら、
世界の70億~80億人ほどの原料が、
この地球にあるのか。
なぜ私たちは、このような社会を作ってしまったのか。
間違いなく私たちが、この無限の消費と発展を求める
社会を作ってきたのだ。
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、
「みんなの世界を良くしていこう」
というような共存共栄は可能なのか。と言う問題提起。

ムヒカはその演説をこういう言葉で締めくくっていたような気がする。
「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、
 無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

ゴーンに謹呈したい思いだ。
横浜にそびえ立つ、権力の牙城のようなビルの夜景を無ながら思う。

ゴーンの独裁“政治”は彼だけの問題では無い。日産の存在も問われることだ。
独裁は周りに独裁に協力する人、意向に逆らえない人、有価証券の偽造に携わった人がいることで成り立つ。

数の力をもって長期政権を築く。公文書の改ざんは平気で行われる。
「仲間を意識し、常に仲のいい人、コントロールしやすい人で周りを固める。
丁寧な説明といいながら、中身はおろか、説明すらされていない。
過ぎ行く時間の中で、数々の不祥事も忘れられていく。

彼らに共通して言えるのは「独裁」という名の哀れなシステムに安住してきたことだ。

最初にあの男の顔を見た時、端正な顔立ちにの中に隠れている「冷酷さ」を感じたことを思い出した。
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2018年11月14日水曜日

「責任論」をめぐるあれこれ

落ち葉の季節である。枯葉が舞う季節だ。
道路にも玄関にも庭にも、落ち葉の“饗宴”が季節を感じさせる。
ある家の庭に落ち葉が、枯葉が大量に飛んできていた。
その家の主は隣家の樹が枯れて落ちたものとし、それを片付けるのは樹の所有者である隣家の「責任だ」と怒鳴りこんだ。
枯葉はどこから飛んできたかはわからない。やがて口論になる。
枯葉処分の「責任論」。

東京電力福島第一発電所の爆発事故。大量の放射線が各所に飛散した。
二本松にある岩代・小浜城ゴルフ場は汚染された。
客足は遠のいた。経営破たん。別の経営で再建。
ゴルフ場は汚染が原因だとして東電の「責任」を問い提訴した。
東電や裁判所の見解。放射能汚染は風が飛散させたものであり、東電のものでは無い。その放射線は「無主物」だ。責任を風のせいにしたとんでもない「責任論」。

福島県内の被災者から集団提訴されている裁判。
東電の元幹部、会長・副社長らは「津波を予測し得る立場になかったとし、勝俣元社長・会長に至っては「部下から報告は上がってこなかった。知り得る立場に無かった」と無罪を主張した。我々には「責任」はないと。
よしんば「知り得る立場になかった」という主張が事実だとしてもそんな組織を作っていた彼らには「責任」があるはずだ。企業のガバナンスとして。

南相馬の小高区の一部住民が起こしていた原発事故の損害賠償訴訟。いわば第三者のようなADRの和解案すら東電は拒否した。

原発事故の「責任」は会社も国もとっていない。
宙ぶらりんのままの「責任」。

シリアで拘束されていたフリージャーナリストの安田純平氏に関する「自己責任論」はいまだ続いている。それは彼が“個人”だからか。
自らは“安全”なこの日本という国に居て、彼の責任を云々する。それはいわば同業のジャーナリストと称する人達が言うべきでは無い。
“私はこのテレビ局の社員です。社が許可しなければシリアには行けない。
一人で、彼の地のことを伝えようとした安田さんの行為を責めるべきでない“
モーニングショーでテレビ朝日社員の玉川徹が怒りをぶつけていたのは腑に落ちた。

「政治責任」とは何だ。言葉だけが存在している。
「説明責任」、それを丁寧ではないまでも果たしたことはない首相。

「責任」「責任」という言葉が連日のようにいわれる。
連日のように企業のトップや学校関係者がテレビカメラの前で頭を下げている。“もうしわけありません”という言葉を並べて。

「製造責任」と言う言葉も聞かれる。
それらの背景には成長の名のもとに、あまた便利で快適で豊かな生活を求めてきた「消費者責任」だってあるのではないか。

落ち葉の季節に思う。
“焚くほどは風がもてくる落ち葉かな”。良寛の句だ。
良寛の教え「足るを知る」。科学文明が進み、AIが進化していく。
良寛の教え、価値観は時代遅れの言葉なのか。意味を持たない言葉なのか。

あとで枯葉一葉に伺てみることにする。


焚くほどに風が持ちくる落ち葉かな

2018年11月4日日曜日

♪ケ・サラ ケ・サラ♪が響いていた頃

3年前の夏、国会議事堂や首相官邸の前では反原発・安倍内閣退陣を求めた
人たちの群れで溢れていた。連日のような行動。

その中で一際目を引いたのは自由の森学園の生徒たちが歌う♪ケ・セラ♪の大合唱だった。

学生の中に大人も交じりケ・セラ、ケ・セラと歌い続けていた。
♪押さえ切れない怒り
 こらえ切れない悲しみ
 そんなことのくり返しだけど
 決して負けはしないさ
 ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ
 僕たちの人生は
 平和と自由もとめて
 生きてゆけばいいのさ

イタリアのホセ・フェリシアーノが有名な革命家たちを歌った歌。日本語訳は岩谷時子だ。青春の1ページとして残っているだけか。

自由の森学園とは埼玉県にある中高一貫の私学。
例えば、歌手の星野源が出た学校。

一時は3万人とも6万人とも10万人とも伝えられたあの人たちはいまはどこに行ってしまったのだろう。青春の1ページとして残っているだけか。

今でも毎週金曜日、反原発を唱え、安倍政治を批判する人達が官邸前にいる。
しかし、その人数は往時よりははるかに少ない。千人くらいの時も有るという。

こういうことを白々しく書いている自分に自己嫌悪めいたものを覚える。体の不調でそこには行けないという理由で。

ハロウィンというバカ騒ぎが渋谷であった。多くの群衆が仮装してそこに集まり、無目的に街を荒らしていく。
いわゆる“バカ騒ぎ”をしていた。

渋谷は“解放区”のようになったが、それは昔のカルチェラタンのそれでは無く。

人は化粧をすることによって「気持ち」が変わるという。
病人にいささかの化粧をほどこすと眼が輝いてくるという話もある。

ハロウィンに集った人達。仮装・変装することで、“非日常”なもう一人の自分が誕生する。日頃のうっぷん、不平・不満、働き蜂のような自分から解放されようとして。
そんな風にしか彼らを理解出来ない。

アメリカ大陸では民族大移動が続いている。圧政、暴力、貧困から逃れるために南米ホンジェラスからU・S・Aまでの2千400キロを徒歩で。
日本列島を縦断するより長い距離をただひたすらに歩いている。
仮の寝場所や食料は支援団体がどうにか提供しているようだが。
7千人のうち、半数以上はこども。一縷の希望を持って目指す合衆国。
そこでは武装した1万5千人の武装兵士が待ち受けているという。

彼らは群衆なのか群集なのか。

「孤独な群衆」という論考、「群衆の中の孤独」という論考。

もはやぼんくら老人になった身は「解」を持たない。
♪ケ・サラ♪の歌声だけが耳朶をくすぐる。
  

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...