なんだか知らないけど秋の連休もそろそろ終わり。連休前にあったあの国会の混乱。安保法制なるものをめぐる様々な動き。
一部の新聞や識者と言われる人達は書く。言う。
「日本人の国民性は“忘れやすい”」と。
テレビの中からあの安保法制のこと、議会制民主主義の崩壊、憲法無視、違憲立法、民主主義への立法府の離反・・・。それれのことが徐々に消えていると。
どこか原発事故後の福島のこと、津波被害の東北のこと。それらを「風化」という言葉で括って訳知り顔に語っていた人たちの在り様と似ている。
たとえば、たしかにボランティアの人たちの数は減った。当然だ。自分たちの生活だってあるのだから。でも、あの時東北に寄せられたボランティア精神はこの国の市井の民には根付いた。この前の豪雨被害がそれを物語っている。
忘れるということと風化ということは違うかもしれない。どこかでは同じだ。
決して忘れない人たちはいるということだ。
テレビのワイドショーやニュースなどの安保法制や安倍政治を論じる時間が少なくなったということを指して忘れっぽい民族だと言っているのだろう。
誰も忘れてなんかいないよ。まともなメディアの人間なら。
伝えなければならない出来事が新たなことが出てきたからそれにシフトしただけだ。
したり顔に「忘れっぽい人間性」などと言うのは、まさに安倍政権の意向に沿った“マインドコントロール”に等しいのだ。
「連休を挟めば国民は忘れる」。そう大見得を切った政権の人たちと軌を一にしようという策略だ。
忘れて欲しい人、忘れさせようとする勢力が「忘れっぽい民族だ」などと言ってのけているだけだ。
テレビや新聞の”内容“だけを”傾向“だけを論拠に、国民性を決めつけないでくれよ。
人は、本心、傷つけられたこと。自分が考え抜いて、真剣に考えて、身をそぐように考えたことを忘れるわけが無い。
もし「忘れる」人たちがいるとすれば、それは上っ面を舐めた適当な人だけだ。
心に刻まれたことを忘れるわけは無いのだ。
目立った行動をしたり言動を取ることだけがあの「安保法制問題」を言っていることではない。
心底、安倍政治に疑問を感じ、反対した人は、忘れるはずはないのだ。
広島がヒロシマを忘れないように。長崎がナガサキを忘れないように。沖縄がオキナワを忘れないように。
国会が終わっても、安倍政権に対する反発は止むことはないだろう。安倍政治の異を唱える人が減るわけも無いのであり。
70年前を忘れ、それが無かったようにして政治のままごとみたいなことを平気でしているのは当事者である「安倍一族」だけなのだ。
「忘れっぽい性格」は政治家だけなのだ。
醜悪な政治の記憶と連休の楽しい思い出とを混同してくれるなよ。
しかし、「忘れさせたいメディア」が現に存在し、日本人の国民性を知ったかぶりで植え付けようとしていることの哀しさよ。
少なくとも、あの時、黙っていられなくて国会前に集めった人達は何もわすれてはいない。日常の生活に戻っても、いや、戻るのが当たり前なのであり、それは「忘れる」ということでは決して無いということ。
2015年9月23日水曜日
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