2015年9月12日土曜日

“安全保障”とは・・・

きょう未明の東京の震度5弱の地震。そして10日以来の茨城、栃木、宮城、福島の豪雨災害。
異常気象がここ数年、とみに話題となっているのだが。

かつて政治の最大課題は、為政者がいちばんこころしたのは「治山治水」だったはず。しゃれにもならないが、数十年前、自民党本部は全国砂防会館の中にあった。

鬼怒川の堤防決壊による大水害。

堤防が決壊して濁流が街を襲う。住民は屋根に上がり、あるいは建物の上部で、あるいは電柱につかまりながら助けを求める。
自衛隊や海上保安庁、警察、消防のヘリやボートが住民を救助していく。

2日間、かなりの時間をテレビに費やした。テレビが映し出す光景は、あの4年半前の東北の光景そのものだったのだ。

家が建物が流されていく。夜通し、徹夜で救助を待つ。その他多くの光景。そして、突如失われた日常。あるべきものがそこから忽然として姿をけしてしまうということ。

あの「3・11」の光景が、連日テレビで見ていた光景の“再現映像”だ。

自衛官たちは、その使命感に支えられて必死の救助をする。ヘリから助け出す作業。相当の訓練を積んだものでなくては出来ない作業。

助けられた人は一様に言う。「やっと安心できました」と。

災害と安全、安全だというハードの問題。安心と言うソフトの問題。

国民生活を守り、国民の幸福な生活を守る。安保法制論議で枕言葉のように言われていること。
国会での安全保障とは軍事のことだ。戦争の事だ。他国からの攻撃ならまだしも、集団的自衛権の名のもとに“他国の戦争”にも首を突っ込む。

日々の安全保障。まさに「安全」という言葉の、概念の捉え方。政治家と市井にの民との間には、その認識に齟齬がある。

自然災害が一瞬にして国民生活の安全を崩壊する。
そのことを政治はどうとらえようとしているのか。

命は助かった。その後の生活は・・・。安心が不安に変わる。
自然災害によって国民生活が脅かされている。安全が確保されない。そこにどんな安全の保障があるのか。

田畑が濁流に呑み込まれた。そこで生産されるはずだった、実りの秋を迎えて、収穫の喜びがあるはずだった。幸福な日常は奪われた。

甚大な被害を受けた穀倉地帯。それは食の安全保障の問題でもあるのだ。
住宅復旧、農地の復元。まさに不可能に近いのだ。
政治の壁や、地方自治体をとりまく環境は“国際情勢の変化”よりもっと身近な問題だ。極論すれば生存権が肯定されるか否定されるかの問題だ。

国会では安保論議に花が咲いていた。自然災害は“他人事”であったかのごとく。

食の安全保障。天明の大飢饉をも脳裏に浮かぶ。

今、飢えに泣き、明日からの生活に泣く人がいる。

復旧。莫大な金額が必要だろう。東京オリンピックなどという華やかな祭典の問題どころではないはずだ。

民主党政権が崩壊したのは、大震災への対応を“間違えた”ためだ。原発事故をめぐり混乱だけを生んだためだ。
自然災害が内閣の命運を決めることもある。
栄華を誇る安倍王国だとて、明日からの対応いかんでは“決壊”することだってありうるのだ。

しかし、この国においては、重ねて言う。それらの大参事があろうとも、あったことは知ってはいても被害者や関係者以外は「他人事」なのだ。あわよくば被災者さえも選挙の具とする魂胆さえみえかくれする。

国会議員にあの自衛隊員ほどの覚悟や使命感は全くない。今、その地位にいる彼らが権力を多少なりとも持っているのが、この国の哀しい現実と思えてならないのだけど。

自然災害からの安全保障、食の安全保障。水というものへの認識。考えなおさねばならないことはたたあるはずと思量するのだが。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...