2016年6月20日月曜日

「伝わらない怒りと悲しみ」

若いころから「沖縄」には関心があった。理由の一つは返還前の、パスポートを持たねば“日本”の中に入れなかったという経験。そして、なぜ日本でありながら日本でではないのかと言うこと。それを知りたいがために、沖縄に関する本をいくつか読んできたこともあるかもしれない。

沖縄返還以前は、本土復帰の前までは、沖縄県ではなく、そこは“琉球県”であり、県知事という呼称は無く、代表は「琉球主席」だった。その主席選挙を巡っての「本土」の干渉は“醜かった”。
本土の政府の意向を無視するかのように、主席には屋良朝苗氏が選ばれた。
 

沖縄の基地問題をめぐり、菅直人が首相だった時、国会の答弁で「いま、琉球処分という本を読んでいるところです」と言ったような言葉を口にしたとき、鳩山と同じように、“見切り”をつけた。

3・11後、沖縄と福島を「並列」して書いたことが何回もある。

共通する言葉は「棄民」。

昨日那覇市で行われた「元米海兵隊員事件」の抗議する県民大会。6万5千人が参加したと言われる。

自民党・公明党は参加をしなかった。それぞれの本部の意向だ。

政党とは何なのだろう。

政党人である前に県民ではないのか。所属議員ならともかく、一般党員まで、「拘束」しなくては、また「拘束」に従わなければならないというのはなぜか。

在日米軍基地に70%以上が存在する沖縄。その基地に「守られている」本土。
沖縄県民が抱える苦しみや悲しみをなぜ受け入れることが出来ないのか。

海の向こうはやはり“異土”なのだろうか。なぜ理解しようとしないのか。

沖縄戦最後の”司令官“、太田実中将。彼の最後の電文、遺言。

「糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

“高配”はあったのだろうか。無かったと思う。

3日後、6月23日。沖縄にとっての「特別な日」がくる。慰霊の日だ。県民集会があるはずだ。そこに参加するのは・・・。
政党のいかんを問わず、そこに存在するのは「個人の意思」であるべきだ。琉球人、沖縄人としての。

あの3・11から5年以上。福島のことは、福島県民の悲しみや怒りはどこまで伝わっているのだろう。

「もう福島はもとにもどったのじゃないの」。そんな言葉もしばしば耳にする。
汚染物質を運び込む中間貯蔵施設。建設は遅々として進まない。

その“完成”にどれだけの人が、どいいう人が尽力しているのか。
確保されて建設用地は見込みのわずか2%。
搬入予定のフレコンバッグは未だ「野積」のまま。

その「黒い塊」のある“ふるさと”への帰還を促進する動き。
担当の大臣や副大臣、政務官は2~3年で代わる。
任期の間だけ当たり障りの無い無意味な「説明」をしていればいいということか。

福島にいる東電の関係者や復興本部の人は、福島の現況を見ているはず。
5年と言う歳月は「捨てられた歳月」と言えなくもない。

「われは一人の死の意味に長く苦しまむ 6月15日の警官として」。
「石投げて迫るを追えどつきつめて信じたしこの民衆の声」。

60年安保時の警察官だった人が詠んだ句だ。

いつ詠んだかは定かではないが、組織とは距離を置き、個人としての、ひとりの問いを発し続けた人もいるということ。

本土と沖縄の「分断」、福島とその他の地との「分断」。

どう理解し、読み解くのか。「未完成」のままで終わるのかもしれないというある種の“恐怖”。



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