2016年6月5日日曜日

“欺瞞”の国を生きているということ

嘘をついてはいけない。最初にうけた“道徳教育”だった。
嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれる。最初に受けた“罪”への戒めだった。
下される”罰“の教えだった。
うそついたら針千本の~ます。というのが友達との日常会話にあった。
嘘は罪、という歌もあった。
嘘から出た真という喩えも落語の世界ではあったが・・・。

たしか総理大臣経験者だったか。ナチスを例にとって「嘘も百回も言えば本当になる」というようなことを壮語していた人もいた。
そう、まさにナチスのゲーリングの思考がそうだった。

「国民は指導者たちの意のままになるそれは簡単なことだ。
自分たちが外国から攻撃されていると説明するだけでいい。
平和主義者に対しては、愛国心が無く国家を危険にさらす人々だと批判すればいいだけのことだ。この方法はどこの国でも同じように通用する」と。

とりあえずは外国からの攻撃を経済的危機と置き換えてみればいい。

欺瞞と嘘は意味合いが多少違うかもしれないが。
政治の世界を垣間見ていて、あらためてつくづく思う。今のこの国は欺瞞国家だと。
どちらをみても「嘘八百だらけ」だと。

「断言します。御約束します」と大見得を切ったにも関わらず、「新しい判断」だと豪語する。
“嘘”が“新しい判断”という言葉に置き換えられる。

消費税増税をめぐる最近の話し。

「正義の反対語は何か。新しい正義だ」と論壇で述べていた人もいたが。

とにかく消費税10%は2年半先送りされた。先延ばしされた。

目先を考える人にとっては、あるいは「正しい判断だ」と映るかもしれない。
しかし、2年半後はどうなっているのか。
消費者物価一つにしてもだ。

社会保障は、どうも“手抜き”されるようだ。そのための「口実」を新しい判断が示したのだから。

政治家も官僚も、マスコミもこぞって言う。「財源はどうする」と。財源は無いと。これから考えると。

財源・・・。入るをはかり出るを制する。そんな教えが、経済という言葉の日本語での出自にはある。

無駄を省くのだ。増税による財政再建。一般会計でもまだまだ“節約”の余地があるはず。
為政者の奢侈を戒めるのも一つだ。

何よりも「伏魔殿的」な特別会計。まるで不可侵であるかにような国家予算の仕組み。

何本も放った矢も折れた。もはや刀も尽きたとも思えるのだけど。

とりあえず「放った」安倍の甘言。何でだ。

彼は「経済」は単なる政策の、受けのいいと思われる取り口だ。

何を目指すか。「改憲」以外に無いでしょ。
選挙に勝つためには将来のこの国の経済まで、財政まで気を配る必要はなにということだ。とも聞こえている。

消費税問題も、まだ予想はつきにくいものの、衆院解散をめぐる「降ってわいたような」政権与党内の“軋轢”、それをめぐる報道も、どこか「出来レース」とも思えてくる。

全てを織り込み済みの猿芝居か。永田町特有のキツネと狸の化かし合いか。

みんな「ふりをしている」んだ。

「新しい判断」、この言葉だけはどうしてもいただけない。

何でもかんでも「新しい」にしてしまえばいいのだから。「古い判断」の固執したことへの謝罪のひとつもない宰相の下で暮らしていくと言うこと。

誕生日には家族そろって焼肉を食べに行こう。そんな約束を家族が交わしていた。その直前になって「ラーメンにする」と父親が言う。
家族は「約束が違う」と怒る。父親開き直る。「新しい判断だ」と。

そんな例えはいかがでしょうか。

東電も、いまだ「欺瞞」でことをすり抜けようとしている。


てなことをこのところ思ってきたのです。

前回、体調不良の「愚痴」を書いたため、どうも各方面の方々に心配を掛けました。
ようやく回復基調にあります。上振れの傾向にあるようです。

が、梅雨になって、季節変動値が加わるとまたどうなるか。
乱高下一服感のある中での「週一ブログ」でございました。

選挙の季節です。事実上の第一声は、またも「福島」でした。きっとこれまで二回も勝ってきたから縁起がいいとでも思っておられるのかもしれませんが。

“チェルノブイリ”異聞

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