食品の放射性物質の含有量は年間1ミリシーベルトとされている。
空間線量も同じ基準値だ。
1日当たり0,23μ㏜。
ベクレルに換算すれば1㎏あたり100㏃が基準値。
この基準値以下がND,未検出。安全とされている。
あの原発事故後の“経緯”を思い出す。
なんか「どさくさ」で決められてしまったような。
そして、これらの基準値は一部の人からは“信頼”されていない。
いくら「未検出」と言ったところで、「福島産」というだけで忌避される風潮。
撒かれた種としての「風評」。それは誰がどんなに努力しても多分消えまい。
かつてこの国にあった根も葉もないまず数の“差別”。
いったん生まれた風評は払拭することは至難の業なのかもしれない。
最近大きな話題になっている東京の中央卸売市場の移転問題。
豊洲の地下から“検出”されたヒ素やシアンや鉛などの化学物質。
いずれも「基準値以下」だというが、それでどれだけの人が、その市場で扱った食品を信頼するのか。
もしこのまま豊洲市場が、いや、多少の改善を試みたとしても、“開場”ということになれば、大きな風評被害の種が播かれることだろう。
「以下」だというが、この基準値もどこまで信頼していいのか。
ヒ素ミルク事件というのもあった。ヒ素を少量ずつ投与した“殺人”もあった。
放射性物質は、大気にも自然界にももともと存在している。
「ノンベクレル」というのは有り得ない事だ。
豊洲の地下の有毒化学物質。それは「地中」にもともと存在していたものではない。
“産業廃棄物”として、いや、“残留物質”として残されたものだ。
東京都の「食卓」はどうなるのだろう。
食の安心・安全を求める人は、その市場で扱ったものを買わなくなるかもしれない。
「基準値以下です」と言っても、それはそこにあるのだから。
人は、何事でも「基準」をもとにして生きていく。
先の台風の大雨。1F構内の雨水は地下水と混じりあって、遮水壁を超える勢いだったという。
実際に超えたのかどうか。港湾内に流出したのかどうか。数々疑問が湧く。
基準値の根拠は・・・。或る意味「ブラックボックス」なのかもしれない。
とにかく、あの「3・11」以来、あらゆることに信頼が置けなくなった。
国の決定、方針。専門家なる人達のまったく相反するような見解。
せめて、「生きる」と言うことの中での自分の立ち位置、基準だけは失わないでおこうと思ってはいるのだが。
“山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう”。
夏目漱石は「草枕」の中でこう書いているが、今のこの世は人の世なのか、人でなしの国なのか。
税金をごまかして自分の財布に入れていけしゃあしゃあとしている地方議会の議員。
なにかと金銭疑惑の絶えない国会議員。
それらを見て見ぬふりをする“お白洲”の輩。
その他もろもろ。解せぬこと、腹に据えかねること多々あり。
「人でなしの国」なのかもしれないな。
人の世の基準値ってあるのかないのか。
2016年9月23日金曜日
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