2016年9月13日火曜日

「除染」なるものへの限りない疑問

福島県以外にお住いの方はご存知ないでしょうが、テレビでは毎日夕方のローカルニュースで「県内各地」の放射線量を報じています。
1F港湾内の線量も。

郡山市の線量はもはやかなり低い数値で“安定している”ようです。大方の人が、空間線量や道路の汚染を気にしてはいません。

宅地除染はもう3年前に終わりました。庭に地中に「フレコンバッグ」が埋め込まれたままです。
「中間貯蔵施設が出来るまでの3年間の仮置き場」が市の原子力対策室のお偉方の説明でした。説明会はかなり“混乱”してはいましたが。

最近、今年に入ってからでしょうか。またもや「除染」の光景が市内のあちこちで見られます。
「道路除染」というやつです。

あれから5年半。その道路を大人も子供も毎日のように利用しています。
病院の脇にある中学校。その脇でも「道路除染」が行われていました。
通学路です。

今日は我が家の近辺でそれが行われています。道路は通行止めです。かなり周り道をしないと我が家には帰れません。
警備員がなんとも”偉そう“な態度で、”強面“で迂回を命じています。

なんでいまさら、なんで今頃、ここが「除染」なの。

非常に不快です。たしか通行止めの看板には郡山市道路課というような記載がありました。

この除染費用、施行業者への支払いはいくらになるのでしょうか。

30キロ圏内は国による「直轄除染」、30キロ圏外は市町村による除染実施となっています。

そして、30キロ圏内、避難区域だった地域は、未だ「除染」は完璧に終了していません。

国は「早期帰還」を言葉だけは丁寧に言ってくるけど、その帰還を、その意志を阻んでいるものの大きな要素の中に「除染」の問題があるのです。

国の事業、市の事業。そんな「縦割り」のような除染の在り方。

郡山市内の道路除染に使うカネがあるなら、あの避難区域だったところへの除染へまわせばいいじゃないか。労力も含めて。

そんな「素人考え」が芽生えます。
必要なところに必要なことをする。

郡山にはある時から「除染組合」というのが出来ました。その内情は知りません。
知っているのは、その組合長に、“定年退職”したある地方金融機関の役員だった人が就任しているということ。

事務所の隣に居た“金融業者”めいたものが、ある時から除染事業に関係するようになって、「ここでは手狭になったし、カネも入ったので大きなビルに引っ越します」と言ってきた記憶。

3年前に町内会から宅地の除染通知が来たものの、いっこうに我が家の周辺はその気配無し。思い余って役所に電話すると「字単位で実施してますから」と。

線量の多寡は関係ないようです。

事業のための事業。

今、行われている道路除染なるもの。何のために誰のために行われているのか。

「善良なる市民」には理解しがたいことなのです。

「除染で儲かった」という話は、あちこちで聞きます。
“業者”が儲けるための除染なのか。“市民のためにやっている”という市役所の“姿勢”を示すためにやっている除染なのか。

いまだ以って本当に除染を必要としている地域が県内には多々あるんだぞ。

原発事故が生み出した、事故の派生による身近に見た事象の一例。最たる「矛盾」。
そう思えて仕方ないのですが・・・。

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