2016年9月11日日曜日

天災は忘れなくてもやってくる

「3・11」後、“天災は忘れた頃にやってくる”という寺田寅彦の言葉がしきりに引用されていた。
先人の警鐘を無視した現代を生きる人への覚醒の意味合いも込めて。

そして、その「忘れた頃」というのは、まさに実態を指摘していた。

3・11の被災地。復興なるものは徐々に進捗しているところもあり、未だしのところもある。

とにかく、「帰還者」は減る。元の町や村には戻れないと言うことは事実だ。

福島に於いても、もっか「帰還」問題が話題の中心を占めている。そこには様々な問題を抱えながらの“進捗”とでも言うのか。

例えば楢葉町。かつての人口の2割もが戻らないと言う。

戻る、戻らない。いたちごっこのような“議論”。

フクシマも東北の被災地も、人口減少という今の時代の象徴的“事例”となっている・・・。

陸前高田では津波が来たところに桜を植える、つまり桜を「記憶」の象徴として、“さくらライン”という取り組みをやっている。
ここまで津波が来たんだということを「忘れない」「忘れさせない」ために。

そこのポスターに「私たちは悔しいんです」と書いてあるのがあるそうだ。


「悔しい」という言葉は、友人や肉親を失っての悔しいと言う感情を書いたものではない。

“これより下に家を建てるな”。そんな先人のいわば“遺言”を無視して宅地や商業施設など居住区を作ってきたこと。それへの悔恨の念を記したのだと言う。


自分たちが語り継いで来なかった。それが「悔しい」という悔悛の言葉となって表れたのだと言う。

「忘れていた」ということへのあらためて紡がれた言葉だ。


地震列島としての日本。このところ毎日地震が絶えない。震度4もあれば震度1もあるが。
熊本周辺でも度重なっている。ここ数日は茨城、福島だ。

余震なのか予震なのか。

3・11大地震を、ちょっと前の阪神淡路大地震を、まさか「忘れた」はずでは無かろうに。直近の事だったのだ。
”忘れた頃“にやって来たわけではないのだ。

首都直下型地震、それが指呼の間にあると指摘する「学者」もいる。

台風10号がもたらした、あの豪雨がもたらした多くの被害、惨状。
異常気象なるものが”原因“だと言われる。

地球温暖化、海水温の上昇。それは今後ずっと続くはずだ。CO2排出の問題だけではなさそうだ。

日本は水害列島ともなる様相だ。

水害という“天災”を我々は忘れているのか・・・。忘れる「いとま」も無くやってくるのだ。

きょうは9・11。それはまさしくテロという名の人災だ。”戦争“だ。”戦争“の端緒となった出来事だ。

9・11は「当事者」以外にはもう忘れられたことなのか。

漠然とした言い方だが、「スピード」なるものを追い求めることを“至上命題”にしている我々にとって、「忘れる」ということに速さが求められている、いや、そうでもしないと生きてはいけないや。そんな思考が蔓延し始めているのかもしれない。

私事、言い訳。

このところちょっとした、取るに足らないような”人災“に巻き込まれ、残り少ない”人生の時間“を「浪費」させられました。
「日乗」なる日々に、その初心を忘れぬためにも、出来り限り「日乗」をもって、「日常」に対峙していく所存なのであります。

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