2016年11月22日火曜日

やはり「原発」を想起して・・・

今日も一日がかりの病院。待合室のテレビは朝方の地震、津波の続報。
どうしても「3・11」が思い起こされる。
医師や看護婦との会話もそのことに集中し。

それにしても今朝はびっくり。いきなりの揺れと携帯電話のあの緊急地震速報の大きな音。

被害は・・・。本数冊の落下と睡眠不足。漆喰の壁からの無数の白い粉の落下。

それにしてもだ。
階下に降りて付けたテレビ。アナウンサーの悲鳴に近いような喋り。画面に映る「逃げろ」「避難」の文字。

やがて津波を警戒して避難する車の大渋滞の映像。

致し方ないし、早めの呼びかけ、注意喚起は、3・11で学んだ対策なんだろうが、あの携帯の音と、テレビでの”呼びかけ“は、時として人を余計パニックに陥れる作用を働かしていないのか。
という偏屈老人の一つの独断的思い。

そして、携帯、スマホに、現れる「皆さん大丈夫ですか」の投稿。大丈夫ですかって聞かれても大丈夫じゃないと返答したら助けにでも来てくれるのか。という根性曲りの咄嗟の思い。

たまさか出かける前に目を通した新聞にあった言葉。
「大丈夫?」ときかれて「大丈夫」と答えられるのは「本当は大丈夫じゃない」ってことかもね。」ぎりぎりのところで踏ん張っている時、大丈夫と優しい声をかけられると堰が一挙にくずれてしまう。だから大丈夫と返すのが身を保つギリギリの線だという解説。

この誰しもが全くの悪意も無く使う「大丈夫」という言葉にはかねてから疑問満載なのです。

数日前、あるところで話をしてきたばかり。「丈夫」の謂れを交えながら。
「丈夫は棺を覆いてのち事定まる」という晋書のことからはじまって。

災害時、どういう言葉を発するのか、投げかけるのか。単に「心配してますよ」という意味にだけにとどまらず。

それにしても、やはり地震ともに去来するのはやはり、どうしても原発の事。
2Fの3号機で冷却装置が一時ストップしたというまことにお粗末限りない事態。

装置ストップ、即、回線切り替えで、それが自家発電装置であろうとなかろうと、「不安」を与えてはならないのだ。
装置の老朽化ともいわれていると言う。

とにかく、何べんも言う。

地震大国日本には原発はまったく相応しくないものだ。
エネルギー事情がどうのこうのという問題以前なのだ。

さっきパニックと書いたが、原発の異常は多くの人をパニックにさせ、正常な判断能力を失わせる。そこから、時としてデマが流され始めるのだ。
特に「当時者足り得ない」人達から。

車による避難計画、避難場所、再考すべきことはまたもや多々見えてきた。

つまらないことで笑う。スタジオでヘルメット被って喋っているアナウンサー。たしかに照明器具の落下が懸念されるなら、たとえば途中で落下を止めるネットでも張ればいい。
なんだか見苦しい習慣。台風時に表で実況している不様さとも相通じる。見たいのはそんな飛ばされそうなレポート風景では無い。実相なのだ。悲鳴を聞きたくはない。

海外にいる安倍は早速「対策を指示した」と自慢顔で言う。彼が指示しないと対策は出来ないのか。そんな“ぼんくら閣僚”を集めているということか。
後事を託せない部下をもっているということの証左じゃないか。

なんか、3・11で政治家は何も、結局は学んでいなかったな。ということ。
ヘリで1Fに飛んだという意味なき事を喧伝した当時の政権も含めて。

地震期に入っている。日本も地球も。いつ、どこで起きてもおかしくない。
だったら、そう思ってもらえるなら「原発再稼働」なんて愚挙は国策で止めようよ。
当たり前のことだと思うのだけど。

2016年11月20日日曜日

「トランプ」カードのこと

コントラクト・ブリッジというトランプカードを使ったゲームに熱中していた時がある。4人で遊ぶいささか“知的”な遊び。

使われるトランプはなぜか「バイスクル」という名の、ケースが青と赤の二つのカード。何故二組か。一組を配っている時に相手方が次に備えて「シャッフル」しておくためだ。

信頼するのは対面にいる味方だけ。決められた用語以外は使えない。両サイドは敵。味方の手の中にあるカードを「用語」で探り、結果を出すというゲーム。

もうほとんど覚えていないが。そのやり方やルールは。

覚えている用語の一つに「ノー・トランプ」と言うのがあった。あまりいいカードは持っていないという意味だったか。

安倍と次期アメリカ大統領が「内容不明」の会談をした。
信頼関係を構築したという。
そこでこのブリッジにあった言葉を思い出したという次第。

信頼するのは対面にいる相方だけ。だけどあの二人は並んで座っていたな。と。

ブリッジゲームに長けている人が、その遊びをもじって日米関係を読み取ってくれれば面白いのにな。なんて思ったりして。

バイスクルとは二輪の自転車のことだ。
なるほど。カードゲームに使うカードは二輪の自転車なのだ。

トランプ次期大統領と安倍との二人三脚ってことかな。

トランプカードの中にはジョーカーという絵柄通りの切り札、道化師のカードがある。

ばば抜きという遊びではジョーカーは「ばば」。なんで「ばば」と呼ばれるのか知らないが。
「ばば抜き」という遊びではジョーカーを最後につかまされた人は「ばばを引かされた」と悔しがる。

アメリカのトランプ氏は日本にとって切り札の「カード」なのか。
何にでも使える最強のカードなのか。
それとも、持ちたくないカードなのか。

そう言えば、昔、日本で花札やトランプカードを作っていたのは任天堂という会社。
いまやすっかり「ポケモンGO」で有名になった会社。今、株価が上がっていると聞く。ポケモン現象が世界を席捲している。

トランプ現象も席捲するのだろうか。

どうも「トランプ」と聞くと、すぐ「ゲーム」が浮かぶのは何でだろう。

なんとなく思い出して来た。このゲームで一番強い手は「エスタブリッシュ」という並びだったんではなかったかなとも。

ばかばかしい限りの、久々投稿の「お遊び話」にて。

2016年11月10日木曜日

何があっても「日米同盟」の“深化”

アメリカ大統領を選んだのはアメリカ国民だ。
安倍首相を選んだのも日本国民だ。選出に至る制度は彼我にいささかの異なりはあるものの。

あれほど「いぎたない」言葉で相手側を誹謗し、ま、それはクリントンだって同じようなものだったけれど、その言辞の一つ一つに歓声を上げていたアメリカ国民。

大いなる“嫌悪感”を持って見て来た大統領選。

勝ったトランプはいきなり「紳士」に変貌した。勝まではトランプの中にあるジョーカーであり、勝ったらA(エース)からK(キング)までの普通のカードだということかい。

日本の識者と称する人たちは言う。
「選挙ではよくある話だ。関心を買うために選挙中は激しいことを言うが、終われば普通の人になる」と。

そうだろうか。

その人が発する言葉には、すべてその人の本質が表れているのではないだろうか。
いきなり発せられる「綺麗ごと」の言葉は、以前の言葉が過激だった分、いいことを言っていると映るのではないか。

だとすれば、トランプの演説のスピーチライターは大したもんだ。

トランプは日本の安全保障政策にはっきり異論を唱えていた。自分の国は自分で守れ。金儲けしているくせにと。米軍基地は引き上げるというようなことまで言った。

ある意味日本はトランプに”喧嘩“を売られたようなものだ。

日本政府はTPP推進、トランプはTPP反対。
何のために誰のために野党欠席の本会議で可決させたのか。

安倍自民の「政治感覚」を疑うしかない。すくなくともこの事に関してはトランプが考えを転換しない限り日米同盟の深化はないはず。
にもかかわらず、「日米同盟の深化」をなんとかの一つ覚えのように言い募る安倍。


フランスやドイツの首脳は危機感をはっきり表明した。
ロシアや中国はトランプを歓迎した。

西側といわれる国々の秩序は“崩壊”の危機にさらされるのかもしれない。

それにしても、安倍とトランプには類似性を感じてしまう。
トランプは言った。「偉大なるアメリカを取り戻す」と。
安倍もよく言っていた。「日本を取り戻す」と。

選挙の前に言っていた公約をいともたやすく180度転換させる。TPPをめぐる安倍自民の政策だ。
今はまだ“理念”だけだが、トランプだって正反対のことを言い出さないとは限らない。

トランプは父親に常に言われていたそうだ。「お前はキングだ」と「キングになれ」と。
安倍も祖父にそういう薫陶を受けていたかもしれないことは容易に想像出来る。

会って話をすれば意気投合するのかもしれない。ドナルドとシンゾウは。
いかにしてトランプに接近するか。それを模索中の安倍政権。
ルートを間違えば、「深化」どころか「退化」だってありうるし。


来年1月の就任式までアメリカは混乱の中にあることは必定だ。アメリカは一つだとドナルドは言うが、一つになれるわけがないだろう。
トランプが勝ったのは投票率が低かった、黒人やヒスパニック系が投票所に足を運ばなかったからだとも言われる。

ならば、トランプ政権を誕生させたのはアメリカ国民自身なのだ。
安倍長期政権を誕生させたのも日本人がそれを選択したからだ。日本だって国会議員の選挙の投票率は低すぎる。

投票率の高低は選挙結果を左右する。常識中の常識だ。

政治にも外交にも常に「裏」がある。裏を知ることは叶わないから、表に出された、表面的なことだけで書いてみた。

いつの世でも「実相」は知見不可能なことが多い。それを百も承知の上で。

2016年11月9日水曜日

歪んだ国

アメリカの大統領選、トランプが勝った。
トランプが指導者となるアメリカ。

何が語られ何が行われるのか。
アメリカは更なる「混沌の国」になる。

トランプに票を入れたのはほとんどが「白人」だった。
ヒラリーに入れたのは多くが黒人やヒスパニック。

これからアメリカは何処へ向かうのだろうか。

選挙戦、メディアが双方の主張を詳細には伝えていなかったが、概ね、汚い言葉での悪口の応酬。
アメリカはいつのまにか歪んだ国になってしまったような気がしていたが。

日本の政治に“トランプ”はどんな影響を与えるのか。
すでに大幅株安が始まっている。世界同時株安だってあり得る。

リーマンショックならぬトランプショックだってあり得るのかも。

安倍とトランプを同類と見るのか異質の人とみるのか。

「力の政治」という点では同類なのかも。TPPでは相反する立場のようだし。
アメリカの”混沌“が日本にも及ぶは必定だろう。

で、卑近なこととしてあったこの国の在り方を振り返る。

TPP強行採決、安倍は“強行採決なんて50年考えたことない”と言っていた。意味不明だ。
何回強行採決を見て来たことか。大方は筋書通りの。

この国の政治は、まつりごとは、誰のために行われているのか。
さっぱり“わからない”時がある。

時々マスコミ人の思考がわからなくなる時がある。
誰のために何のために存在しているのかわからなくなる時がある。

意味のわからないカタカナ語が、それも簡略化されて巷に溢れている。
言葉がコトバですらなくなってしまったような、単なる記号化された文字としか思えないことがしばしばだ。

小野薬品工業が開発した癌の新薬「オプジーボ」、それを「使用」しようと思えば一人年間3千500万円が必要だと言う。
製薬会社は最高の利益を出しているという。
大金持ちはカネで病気が治せる。命を買えると言うことか。
貧乏人は、いや、普通の暮らしをしている人にとっては「そこにある無縁の物」だ。

さすがに愚鈍な国もこの薬の値段を下げるように働きかけていると言う。

このことが書かれた新聞記事の結びにはこうあった。
「引き下げは、製薬会社から訴訟を起こされるリスクがある。新薬開発の成功率は3万分の1とも言われ、10年前後の時間と数百億円超の費用がかかる。企業の開発意欲が低下し、効果的な薬が登場しなくなれば、患者にとっても不利益となる。」

この記事をどう理解すればいいのだろう。
「3千5百万円の薬が登場しなければ患者にとって不利益となる」というくだりを。

新薬開発、望ましいことだ。不治の病が治せると言うことは、大いなる科学技術の進歩だ。

しかし、進歩の恩恵は限られた人しか受けられない。科学技術の進歩による恩恵は万人が受容出来るものでないと、”無意味“だとも思うのだが。
新薬開発にかかわる莫大な費用、それを国がまかなうということにはならないのだろうか。そうすれば”価格“は下がるはず。

全ての事が「企業内」のことに収れんされていく。

電通に見る残業問題もそうだ。それは社会的問題であるはずなのに。

原発問題、原発事故の後処理。それだって「東電」一社の問題では無い。福島だけの問題では無い。

事故から5年半以上。大きな「社会問題」として捉え、考えねばならない時期に来ていると言うのに。

責任のなすり合いが慣行化しているような。

トランプは日本の原子力政策についてなにか言うのだろうか。

トランプ流に言えば「石棺」方式だ。トランプ流に言えば「被災者は福島県内に閉じ込めよ」ということになるのか。

“冬”が急速に迫っている。

2016年11月3日木曜日

「メシを食おうぜ」

明日の新聞やテレビで報道されるであろうから、今日書いておく。

親しい人、恩義のある人が突然亡くなった。
茫然自失の想いである。
久しぶりに泣いた。

突然の死だ。虚血性脳血管。外出先での出来事。

その人は戦後の映画界を席捲し、テレビ界をも席捲した。名前を出せば誰でも知っている男だ。

彼には世話になった。恩義を忘れてはならないほどの。
もう30年も前か。「肺がん」と郡山の病院で診断され、ちと難儀な部位に癌があったらしく、東京の病院へ行ってほしいと言われた。
病院の手配を彼に依頼した。
即刻返答があり「慶応病院を手配した。すぐ上京しろ」とのこと。
東京駅に着くと彼が車で迎えに来てくれた。

「あすから入院だ。メシ食いに行こう」。店の名前は忘れたが肉料理で有名な赤坂の料亭だった。

東京の自宅に送ってもらい、翌朝入院した。

彼は毎日のように見舞いにきてくれた。ウエストのシュークリーム50個、マイセンのサンドウイッチ、おはぎ・・・。

ナースステーションの分も。病院は「患者さんからのものは受け取れません」という。彼は言う。「男の気持ちがわからないのか」と。看護婦は受け取ってくれた。

入院経験の無い僕にとっては、その仕組みがよくわからなかった。
入院時には「預託金」をおさめることになっていたらしい。
彼は30万円を払っていてくれていた。後から知った話だが。

ある日見舞金を置いていった。中には50万円が入っていた。

比較的長期にわたった入院。退院してすぐ彼の会社にお礼に行った。見舞金を上乗せして。

直ったか。よかったな。メシ食いに行こう。

「飯食いに行こう」が彼の口癖だった。必ず実行する約束。

「そんな金は受け取れない。お前に渡したものだから」
「いや、そうじゃなくて奥様に何か・・・」
「わかった。受け取る」

そして彼は煙草を差し出した。「吸え」と。
「いや、肺がんだったからやめた」というと「もう治ったんだろ、吸えよ」とたたみ掛けている。「俺の煙草が吸えないのかよ」。

彼独特の“良かったな、嬉しいよ”という感情の表現の仕方だった。不器用な生き方しか出来なかった人だったのだ。

友情を感じて吸った。

その後、時々、ロケを兼ねて福島にも来た。薬草風呂に行った。皮膚の柔らかいところが痛んだ。彼は、真剣な表情で、そこにお湯をかけ流し続けてくれていた。

時々電話が掛かって来たいた。「東京に出てこいよ。メシ食おう」と。
3・11後も心配して電話をかけてきてくれていた。

彼は事情があって会社を退陣した。

去年の正月、年始の挨拶を兼ねて彼に電話した。近況を話し合った。
「出てこいよ、メシ食おう」。

夏、僕は脳梗塞を患った。上京は難しくなった。電話で無沙汰を詫びた。

いくら彼との事を書いてもきりがない。

昨日近親者での葬儀が終わったという。
あらためて墓に参るしか彼に礼をいい、”別れ“を実感する方途はない。

男の生き方には毀誉褒貶が付き物だ。

彼の豪放磊落な生き方。真似を出来ることでは全くないが、「教わったこと」は多々ある。

「飯食おう」。それは、彼の親しみを現す言動と行動だったのだ。

彼が男として惚れ込んだ、有名な俳優の歌でも今夜は静かに歌ってみる・・・。

ロケ現場で、彼はスタッフと同じ飯を食っていた。特別扱いを拒否していた。

同じ釜の飯を食う。飯を食った仲。そんな言葉をしみじみと考える。

2016年11月1日火曜日

「兵士供給地」としての東北

戦闘状態と言おうが、衝突と言い換えようが、そこが「戦場」であることには間違いない。

指呼の間に迫った新たな「派遣部隊」。その主軸は青森にある陸上自衛隊第9師団第5普通科連隊だ。第9師団には青森だけではなく、岩手など東北の自衛隊員も含まれている。

それは、たまたま、「派遣」の順番が青森に回ってきたということなのか。

すでに北海道からも行っているはずだし。

少なくとも、駆け付け警護なることも含めて、新たな任務、新たな“戦闘準備”をして南スーダンに派遣される自衛隊は第9師団が初めてだ。

いささか薄れた記憶だが、あの戦史に残る「203高地」の事件。最後まで死守しようと戦ったのは福島の富岡出身の兵士だと聞いている。

「東北人は我慢強いから」がその”理由“だったとも聞いている。

一銭五厘の手紙、赤紙。それで召集されていった兵士たち。

今の自衛隊員は召集令状で集められた人たちではないだろうが。

大袈裟に考えているのか、僻みでとらえているのか、そういう訳では決して無いが、「国策」に東北人は翻弄されて来たのではないかとも思っている。

なぜか、それは明治維新にあった薩長による「東北処分」「東北仕置」に思えてならない時がある。

もう20年以上も前か。かつての職場の番組審議委員長を郡山農協の会長が務めていた。
課題番組は「戦争」にかかわる番組だった。いや、当時のニュースステーションだったかもしれない。

番組内容について議論が進んで行く中、その委員長は突然大声で机を叩きこう言った。

「君たちは一銭五厘の赤紙一枚で戦地に行った我々を侮辱するのか」と。そう、その委員長は戦争経験者だった。

その番組は決して兵士をバカにしたものでは無かった。でも、彼の怒りをかった。
その人の名前は「甲子郎」、大正13年生まれのはずだ。

その時、自分の中で思ったのは「もっと戦争の”実相“を勉強しなければ」という思いだった。


暮らしの手帳の編集長だった花森安治が書いている。
「見よ、僕ら一銭五厘の旗」。一部を抜粋する。

“軍隊というところは ものごとをおそろしく はっきりさせるところだ
星一つの二等兵のころ 教育掛りの軍曹が 突如として どなった
貴様らの代りは 一銭五厘で来る軍馬は そうはいかんぞ
聞いたとたん あっ気にとられた しばらくして むらむらと腹が立った
そのころ 葉書は一銭五厘だった 兵隊は 一銭五厘の葉書で いくらでも
召集できる という意味だった

そうか ぼくらは一銭五厘か そうだったのか

そういえば どなっている軍曹も 一銭
五厘なのだ 一銭五厘が 一銭五厘を
どなったり なぐったりしている
もちろん この一銭五厘は この軍曹の発明ではない
軍隊というところは 北海道の部隊も、鹿児島の部隊も おなじ冗談を おなじアクセントで 言い合っているところだ
星二つの一等兵になって前線へ送りださ
れたら 着いたその日に 聞かされたのが きさまら一銭五厘 だった
陸軍病院へ入ったら こんどは各国おくになまりの一銭五厘を聞かされた
 
満洲事変 支那事変 大東亜戦争
貴様らの代りは 一銭五厘で来るぞ とどなられながら 一銭五厘は戦場をくたくたになって歩いた へとへとになって眠った
一銭五厘は 死んだ
一銭五厘は けがをした 片わになった
一銭五厘を べつの名で言ってみようか

「庶民」

ぼくらだ 君らだ・・・“


平成28年、郵便切手82円の時代。一銭五厘はいくらに“換算”出来るのだろうか。綺麗ごとを言うようだが、人の命はカネに変えられない。しかし、自分たちの命を「一銭五厘」という“価値”で呼ばれていた時代があったということ。