2016年11月3日木曜日

「メシを食おうぜ」

明日の新聞やテレビで報道されるであろうから、今日書いておく。

親しい人、恩義のある人が突然亡くなった。
茫然自失の想いである。
久しぶりに泣いた。

突然の死だ。虚血性脳血管。外出先での出来事。

その人は戦後の映画界を席捲し、テレビ界をも席捲した。名前を出せば誰でも知っている男だ。

彼には世話になった。恩義を忘れてはならないほどの。
もう30年も前か。「肺がん」と郡山の病院で診断され、ちと難儀な部位に癌があったらしく、東京の病院へ行ってほしいと言われた。
病院の手配を彼に依頼した。
即刻返答があり「慶応病院を手配した。すぐ上京しろ」とのこと。
東京駅に着くと彼が車で迎えに来てくれた。

「あすから入院だ。メシ食いに行こう」。店の名前は忘れたが肉料理で有名な赤坂の料亭だった。

東京の自宅に送ってもらい、翌朝入院した。

彼は毎日のように見舞いにきてくれた。ウエストのシュークリーム50個、マイセンのサンドウイッチ、おはぎ・・・。

ナースステーションの分も。病院は「患者さんからのものは受け取れません」という。彼は言う。「男の気持ちがわからないのか」と。看護婦は受け取ってくれた。

入院経験の無い僕にとっては、その仕組みがよくわからなかった。
入院時には「預託金」をおさめることになっていたらしい。
彼は30万円を払っていてくれていた。後から知った話だが。

ある日見舞金を置いていった。中には50万円が入っていた。

比較的長期にわたった入院。退院してすぐ彼の会社にお礼に行った。見舞金を上乗せして。

直ったか。よかったな。メシ食いに行こう。

「飯食いに行こう」が彼の口癖だった。必ず実行する約束。

「そんな金は受け取れない。お前に渡したものだから」
「いや、そうじゃなくて奥様に何か・・・」
「わかった。受け取る」

そして彼は煙草を差し出した。「吸え」と。
「いや、肺がんだったからやめた」というと「もう治ったんだろ、吸えよ」とたたみ掛けている。「俺の煙草が吸えないのかよ」。

彼独特の“良かったな、嬉しいよ”という感情の表現の仕方だった。不器用な生き方しか出来なかった人だったのだ。

友情を感じて吸った。

その後、時々、ロケを兼ねて福島にも来た。薬草風呂に行った。皮膚の柔らかいところが痛んだ。彼は、真剣な表情で、そこにお湯をかけ流し続けてくれていた。

時々電話が掛かって来たいた。「東京に出てこいよ。メシ食おう」と。
3・11後も心配して電話をかけてきてくれていた。

彼は事情があって会社を退陣した。

去年の正月、年始の挨拶を兼ねて彼に電話した。近況を話し合った。
「出てこいよ、メシ食おう」。

夏、僕は脳梗塞を患った。上京は難しくなった。電話で無沙汰を詫びた。

いくら彼との事を書いてもきりがない。

昨日近親者での葬儀が終わったという。
あらためて墓に参るしか彼に礼をいい、”別れ“を実感する方途はない。

男の生き方には毀誉褒貶が付き物だ。

彼の豪放磊落な生き方。真似を出来ることでは全くないが、「教わったこと」は多々ある。

「飯食おう」。それは、彼の親しみを現す言動と行動だったのだ。

彼が男として惚れ込んだ、有名な俳優の歌でも今夜は静かに歌ってみる・・・。

ロケ現場で、彼はスタッフと同じ飯を食っていた。特別扱いを拒否していた。

同じ釜の飯を食う。飯を食った仲。そんな言葉をしみじみと考える。

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