ジョージ・オウエルという作家が書いた本に「1984年」というのがある。
その新訳版が今隠れたブームだと聞く。
1984年と2017年は、あまりにも酷似している。
小説「1984年」の要旨はこうだ。
“ビッグブラザー”という絶対権力者がいる。その権力者の意向に反する思考は許されない。ビッグブラザーがその国を管理、支配している。
彼に反発する“思考”はもとより、自由な恋愛も、個人のメモ・日記すらも残しておくことは犯罪である。彼の支配に不都合な存在や事実は、あらゆる記録から抹消され、書き換えられる。
「なかったこと」にされる。
その社会に生きている人は“二重思考”を要求される。自らが、だ。
反抗・抵抗する者には過酷な運命が待っている・・・
この“主人公”、ビッグブラザーは、スターリンやトロツキーを模したものだ。
最初は反共小説とされていた。
トランプ政権が誕生してから、この本は、いわば反トランプ本として読まれているようだ。
トランプと安倍晋三は、もしかしたら前世は“兄弟”か“双子”だったのかもしえない。
思考回路、言動、やり方。多くの部分で酷似している。強圧的であり、虚偽に類する言動が多い。
FBI長官の解任劇でそれは如実に示されている。
この本は、今の、2017年の日本にも当てはまりそうだ。
あったものをなかったものにする。あったことをなかったことにする。
「蕎麦屋の問題」、モリ(森友)、カケ(加計)に見るが如くだ。
“最高権力”と前文科省次官との問題。
官僚の”正義感“。
どうも日本は「1984年」に迷い込んでしまったようだ。1Q84かな。
月は二つあると言われれば一つしかないものを二つとしなくてはならない。
大統領就任前のトランプのもとになぜいち早く安倍は参上したのか。それが可能だったのか。
安保や防衛問題が喫緊の課題としてあったからかもしれない。
経済問題もあったのかもしれない。
政治手法について考え方が一致し、お互いの親密な関係を「誇示」した。
そりゃそうだ。“前世”をたどりあったのだろうから(笑)。
また明日にでも北朝鮮はミサイルを発射するかもしれない。
北朝鮮はアメリカが目標だというが、否応なく日本も巻き込まれる。
北朝鮮と日本は、アメリカがそこに“介在”している限り、好転する気配は皆無だ。
拉致被害者は帰ってこない。
それを判りきった上で、安倍は襟にブルーリボンを付けている。
何もしていない、しようとしないのにそのリボンを、バッジを付けていること。
それこそ「印象操作」ではありませんか。
大統領がどうであろうとアメリカ国民の間には、民主主義が根付いていることを過日のテレビ、サンデル教授の白熱教室を見ていて知った。
トランプ派、反トランプ派に別れての討論。
それぞれが自分の考えをきちんと持っており、反対派の主張にも冷静に耳を傾け、“自己撞着”に陥ることなく、お互いを「個人」として尊重し合っていた。
そこにはむやみに罵り合うと言う光景はなかった。
「民主主義」の姿があった。それは今の日本では見られない光景だった。
日本の民主主義とは何か。あるのか、ないのか。
それにしてもメニューに「モリ」と「カケ」しかない安倍蕎麦店。
やがて客足は遠のくのかも。
おソバ(傍)用人がパラパラと海苔をふりかける努力をしても。
2017年6月12日月曜日
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