2017年6月4日日曜日

「真理」と「自由」

中学生の時、英語の授業で習った英文がある。

「リバティー オア デス」。自由をさもなくんば死を。

As for me, give me liberty or give me death

“余には願わくは自由を与えたまえ, かなわずば死を選ばん”。

アメリカの独立戦争時、バージニア州の弁護士パトリック・ヘンリーが州議会で行った演説だ。
「自由と権利を失いたくないのならば、それを守るために戦わねばならぬ。
諸君は平和、平和と叫ぶかもしれないが、それはもうここにはないのだ。戦争は、既に始まっているのだ。
誰がどの道を選択するかなど、私の知るところではない。しかし私はこの道を選ぼう。おお、神よ、我に自由を、しからずんば死を与えん」。

この時から、その文章に感化されてか、「自由」ということを再三考えるようになった。

東京、永田町。国会議事堂に並んで憲政記念館があり、その隣に国立国会図書館がある。さまざまな書籍刊行物が所蔵されている。

その図書館の2階ロビーに初代館長だった金森徳次郎が揮毫した額がある。

「真理が我らを自由にする」という言葉だ。

金森徳次郎は大蔵官僚から内閣法制局長官を勤め、国会議員となり国務大臣も歴任した。
図書館が完成した昭和28年、初代の館長に就任した。

国立国会図書館法という法律の前文にはこう書かれている。設立の理念が。
「真理が我々を自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和にとに寄与することを使命として、ここに設立される」。


今、永田町に生息する国会議員で、この図書館に出向いて、何かを学ぼうとした人がいるだろうか。
皆無であろう。その存在すら知らない人もいるように思えてならない。

真理とは何か。難しい命題だ。
広辞苑には「本当のこと、まことの道理」と平易に記述されている。

真理を探究するのは学問の場だ。
国会とは政治の真理を議論、追求し、真の政治を実践する場だ。

およそ今の国会で交わされている間違いだらけの言葉の応酬。
レッテル貼りだの印象操作だのの「安倍語」による決めつけ。

今の政治家には「真理」なるものは存在しない。

同音異議語で真理を心理に置き換えると安倍政治はわかりやすい。
彼を語るに政治学者をもってしては語り得ない。
心理学者をもって語らせれば「サイコパス」という解説・分析が当てはまる。

“嘘を平気でつく。しかし、それを嘘だとは思はない”という心理分析。

独裁が民主主義だと思いこんでいるサイコパス。

国民の自由を限りなく剥奪することもいとわない人。

真理を探究し、実践した過去の政治家を何人か知っている。
首相に対して諫言し、身を挺して時の首相の政治判断を変えさせた男を。

金森が揮毫した文言は聖書のヨハネの福音書から引用したとも言われる。
「真理はあなた方を自由にする」。
キリストの言葉だ。

ヨハネはこうも言っている。
「イエスのなさったことはたくさんある。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう」と。
だから金森はそのイエスの言葉をもってして収用出来ない言葉や知識があることを「図書館」の理念としたのだろう。

真理と自由。今の安倍政治には全くふさわしくない言葉だと。
ま、無知、無教養な男にはそれを求めてもなんの意味も無いのだが。

しかし、それはある意味、歴史の”冒涜“であるとも思えてきて・・・。

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