2017年6月20日火曜日

「首相記者会見」という“詐術”

国会終了ということで首相の「記者会見」があった。記者会見と銘打たれているものの、あれは、いや、いつもだが、記者会見で無く単なる「演説会」だ。
首相と記者とのやりとりがあまりにも少ない。

僕がああいう場にいた頃、会見は「内閣記者会」が仕切っていた。幹事社が会見前に各社のキャップと質問項目を打ち合わせ、それを官邸報道室を通じて首相秘書官のもとに上げていた。

幹事社の代表質問、予定された質問ではあるがその答えがこっちにとって“不本意”なもの、つまり質問に答えていない、答えが“甘い”、答えに“不足”があれば何度でも質問”出来た“。
つまり、二の矢、三の矢も放てた。

代表質問が終わると各社の質問。それは幹事社が振る。あちこちから声が上がり、他社であっても“援護射撃”するような質問が相次いでいた。

会見場はどこか「真剣勝負」の様相もあり、質問する人、ただやりとりを書く「トリテキ」なる役割に別れていた。トリテキは若い人、質問はキャップか次席。

官邸が新しくなってから、記者クラブや会見場の模様は知らない。

プロンプターなんてツールは無かった。答弁はメモをもとになされていた。
首相の“冒頭発言”なんてうものもほとんどなかった。

細川政権から記者会見の様子はすっかり変わった。プロンプターがあり、質問者は首相がペンで指した。

そして首相記者会見は、官邸仕切りの「官制会見」になり、まさに「岩盤規制」のように“規則”が定められた。

いつも笑ってしまう。
官邸の広報官らしき人物が言う。
「ご質問のある方は挙手をして、発言の際には社名、お名前を言ってからご発言を」とくる。
手があがる。司会者は「何々さん」と指名する。
名乗るまでも無く、そっちで知っているじゃないか。

「質問は一人一問でお願いします」とくる。あやふやな、はぐらかしの答えであっても二の矢は放てないのだ。
しかも時間制限あり。NHKの枠に合わせて。
2~3人でそろそろお時間となる。

冒頭発言が長すぎるからだ。それは記者会見の発言というより、演説会のようなものだ。

安倍は時間制限と質問制限、その「会見規制」に救われている。会見が「形骸化」しているのだ。その「岩盤規制」を記者の側はドリルをもって打破しようとはしない。

記者会見の前に、おおよそのマスコミの世論調査の結果が伝えられていた。
小心者の安倍は実は世論なるものを気にしている。だから冒頭発言は妙に殊勝であり、やたらと「反省」を口にした。

反省するには遅すぎる。
反省は何の意味も持たない。
既成事実は出来上がってしまっているのだから。

「加計」のカの字も口にしなかった。会見の途中には「森友強制捜査」の速報字幕。

安倍の「反省」は体裁を繕うだけの、その場しのぎの逃げ口上だ。
「丁寧な説明」だって何度も口にされながら、実行されたことは無いのだから。

加計問題をめぐり、菅官房長官は「怪文書」と前川の告発を無視した。
怪文書という言葉が独り歩きしているとも言い放った。
逆を言おう。
安倍の「反省」と言う言葉だけが独り歩きしていく。実践を伴わない言葉が。

安倍が反省すべきは、国会運営の可否だけではない。
自らの政治姿勢、国家観であるべきだ。

殊勝なふりだけの「反省」、しかしそれには具体性が皆無だ。
反省して何かを改めるということか。

地元紙福島民報の世論調査、県民の意識調査。
安倍内閣支持は30,6%、不支持は51,7%。

福島県はかつて保守王国と言われた。安倍を「保守」と思っていない人が多くなったということか。

「昨の非を悔ゆる者は之れ有り。今の過ちをあらたむるものは鮮(すくな)し」。
言志四録にある言葉だ。


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