国会は幕を下ろした。「形骸化した国会」というまやかしの舞台は。
悪魔が撒いたようなどす黒い霧の数々は何ら晴らされぬままに。
1961年に丸山真男は「現代における人間と政治」という論文を書いた。
その中でにドイツ系アメリカ人のジャーナリスト、ミルトン・マイヤーの著書
「彼らは自由だと思っていた」の一節を引用し、こう書いている。
“ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になつた。
けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。
それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。
けれども自分は依然として社会主義者ではなかつた。そこでやはり何もしなかつた。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、
そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。
さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。
そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた”。
マイヤーの著作の「下地」は、マルティン・ニーメラーの詩にある。
「特定秘密保護法」時にニーメラーの詩を引用したが、「共謀法」が強行成立した今、あらためてこれらの文を噛みしめている。
「自由」が霧の中に奪い取られていっているような思いがある。
テロ対策を隠れ蓑のようにした共謀罪。もしかしたら安倍自身もこの法律の持つ恐ろしさをわかっていないのかもしれない。
安倍の中の判断基準は、オリンピックを安全に成功裏に終わらせるために必要な法律だと言うことだけなのかもしれない。
たかだか2週間のオリンピックのために将来の日本の社会が、ニーメラーやマイヤーの恐れた社会になって行くかもしれないのだ。
「一般人には適用されない」と答弁したかと思うと、そうでもないようなことも言う。
与党の政治家自身もよくわかっていないのだ。
「一般人とは」。そんな議論が真剣に交わされた様子はない。
国会議員、官僚、警察官。それ以外は一般人ということか。一般人と言う言葉自体、どこか国民を”身分差別“し、見くびっているような。
一般的に言えばー。枕詞のように言われるがあまりにも曖昧模糊とした表現。
芸能界―。お相手は一般人。だから明らかにしない。
安倍政権を支持する弁護士に聞いた。あなたは一般人かと。一般人ですと明言した。
医者は一般人なのかそうではないのか。教職員はどうなのか。マスコミ人は・・・。
そんな全く素朴な疑問さえ明らかでは無い。前議員は、退職公務員は・・・。
杞憂であって欲しい“極論”を言う。
日本では犯罪が増えるだろう。警察官の防犯関係の警察官まで「公安」を担当させられるのだから。
警察がこの法律をどう思っているのか知りたい。
スポーツジャーナリストはいう。「オリンピックをダシにされているようで選手たちが気の毒だ」と。
冒頭に書いたことに戻れば、「他人事と思っていたが、組織的犯罪集団のことだと思っていたが、気が付いたら一般人の自分にもそれが及んでいた」。そんなことにもなりかねない。
それにしてもこの共謀罪のことを知らない人が多すぎる。
平均的国民レベルとはいわないが。
御油断召されるなよ、一般人。
2017年6月18日日曜日
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