ルサンチマンとは元来はニーチェの言葉であり、弱者が強者に対して抱く憎悪や復讐心を鬱積させていることを指す。
今は、それをもう少し幅広く捉えたいし、例えば数年前に盛り上がった反原発運動も東北の民の行動も“ルサンチマン”と呼びたい。
反権力の象徴的言語としても。そして時にそれは爆発するものだとも。
数日前、懇意にしている元官僚と会った。話をした。
田中内閣当時の秘書官を務めた人物だ。
秘書官をやめてから本省に戻り、大使を務めていた人だ。
「都議選の結果には溜飲を下げた。安倍の暴政には辟易としていたから。
このまま行くと日本はダメになると信じていた。
小池と言う人物のことは知らない。都民ファーストなるグループが大勝したことが良いかどうかは別問題だ。」
その日はちょうど首席秘書官を勤め、ロッキード事件で逮捕された榎本敏夫氏の葬儀の日だった。
榎本氏は政務には全くと言っていいほど関わらなかった。役所からの秘書官にすべてを任せていた。
田中内閣で通産省からの秘書官が誕生した。それまでは外務省・大蔵省・警察庁からの秘書官だったが。
通産大臣当時の秘書官を総理秘書官に登用した。日本列島改造論を仕上げた政策通の官僚を。そして通産官僚が秘書官の決席になった。
話しを戻す。
首相の車には秘書官が交代で「ハコ乗り」する。ある日、前述の外務省から出向した秘書官は車の中で言われたと言う。
“あのな、役所はもっともっと強くなければならぬ。優秀な官僚を育て上げねばだめだ。官邸に反旗を翻すくらいの役所にならないと、官邸の意向をくんでいる役所はだめだ。部下を育てろ”と。
“田中さんから車の中で行政学の講義を受けるとは思ってもみなかった。どこで“行政学”を勉強されたのだろうかと不思議だった。それほど上に立つものとしての政治家の在り方を知悉していた人だった。“
“安倍内閣が内閣人事局を設け、人事で官僚を操縦する。そのやり方に憤懣やるかたない思いがしていた。驕りも甚だしいと。
都議選で、都民は反自民の選択をした。あの結果には溜飲が下がる思いがした“と。
元官僚として、政権の中枢にいた人物としての「ルサンチマン」を彼の話しの一端から感じ取った。
“安倍政治”をよからぬものと感じている官僚は数多くいるとも。
明日、前川喜平の「参考人質疑」が行われる。自民党はすでにして前川を「敵」とみなしている。
前川は何を語るのか。
前川は一時駐仏大使館に勤務していたこともあったそうだ。その当時から正義感の強い男だと見ていたという。元大使はそうも言った。
官僚政治をよかれと思って書いているのではない。ただ、官僚の中には安倍政治を快く思っていない人もいるということの事例としてこれを書いた。
いつのころからか、日本の政治は、官僚の在り方含めて、その道を間違えてしまった。
官僚たちの夏、官僚たちの反乱、そして官僚たちのルサンチマン。
都議選の自民大敗を決定づけたのはあの秋葉原での安倍の言動だ。
「あいつらに負けるわけにはいかない」。あいつら、あの連中と国民を卑下した“演説”。
あの会場の辞めろコールも選挙結果も、民衆の「ルサンチマン」だったと理解する。
2017年7月9日日曜日
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