2017年7月21日金曜日

「こんな人たち」がいる光景

「戦後最悪の政権」と言われた安倍政権。多くの日本人は疑念を持つことも無くそれを支持してきた。あの都議選までは。

「大衆は支配されることを願っていた。支配する側は、大衆が見たがるものを提供してきた」。
こんなセオリー、力学が働いているようだった。

都議選最終日。「こんな人たちに負けるわけにはいかない」。この安倍の一言が、大衆の“支配離れ”につながった。
自分に反対する者を敵視した発言。それは安倍支配から離反する意志を抱かせるには十分だった。大衆は支配者の無様な言動は見たくなかったのだ。

「ひとたち」。個々人を十把一絡げに呼ぶことへの反感。大衆は支配からの脱却に走ったのだ。

世論調査の支持率下落。それは政策の問題ではなくなり、好感度と言う感情の問題へと変化したのだ。
「首相が信頼できない」が不支持の理由の圧倒的多数だったということ。

致しかたあるまい。それが安倍の「本性」だったのだから。

「戦後最悪の政権」と書いた。
続々と問題を起こし、事実の「隠ぺい」を図ることに腐心する閣僚のなんと多い事か。
さらに答弁能力もない閣僚。

日本人は、潔癖を求める特性を持つ日本人は「隠す」「ごまかす」ということに敏感に反応する。

今、数年前にあった出来事を思い出している。
2013年の参院選挙。第一声を福島で発した。

安倍の演説が始まる前、その会場のビルの陰に一人の女性が立っていた。
持っていたのは“総理、質問です。原発廃炉に賛成?反対?”と書かれたプラカード。
その女性は二本松市の寺の副住職の奥さん。子どもを育てている。たしか保育園もやっていたような。

その女性、佐々木るりさんを警備の警察官と自民候補の運動員が取り囲み、プラカードを取り上げ、彼女をその場から遠ざけた。

安倍はそのプラカードを眼にすることも無く、辞めろ、帰れの声を聞くことも無く、「仲間」に囲まれて”気持ちよく“喋っていた。

反対する者が嫌いなのだ。反対するものを攻撃する。性格の為せる所以だ。

もし、彼女がプラカードを掲げてその場にいることが許されていたら、「あんな人に負けるわけにはいかない」と絶叫したかもしれない。

整えられた環境の中で喋ることは得意だ。反対する人、人達と「対話、議論」することは嫌いだ。

宰相としての“資格が無い”ことを一般人は見抜いたのだ。

閣僚たちがさまざま「問題発言」を繰り返している。しかし、何があろうと王様は彼らを庇護しようとする。

それにしても自民党は落ちぶれたものだ。支持率の低下を見た途端に「反安倍」のような言葉を口にし始める。
自分たちに被害をあたえるような力が無くなったと見込んで。

反安倍を言うなら半年前、一年前に言うべきだったのに。なんだか見苦しい。

そして国会の“作法”。相も変わらず「足して二で割る」手法がまかり通っている。
閉会中の予算委の質問時間の配分の“調整”。
慣例は与党2野党8だったのを5対5にしようと言いだし、中を取るような3対7。

「真摯に説明責任を果たす」「反省の上にたって丁寧な答弁を行う」。にわかには信じられない。

“起死回生”を目論んで安倍は人事を行う。夜な夜なの「会食」。
麻生太郎、岸田文雄・・・。下手をすれば離反するかもしれない閣僚とメシを食う。エサで手懐けているような光景。

東に高級料亭で密議をこらす「国民の生命と安全を守るべき政治家」
西には大水害にあい、酷暑の中、食の安全すら懸念される環境の中で、配給される被災者、不明者の捜索を続け、黙々と復旧にあたる自衛隊員がいる。ボランティア作業にあたる「そんなひとたち」がいる。

自衛隊のトップであるべき人が「嘘」の上塗りをしている。

2017年夏の日本の光景。


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