2017年7月27日木曜日

「玄人」と「素人」と

玄人とは「専門家」と置き換えてみる。
素人とは一般大衆、国民と置き換えてみる。

専門家は誰に対して、誰を対象に、誰のために仕事をしているのか。

相手は素人だ。一般大衆だ。

その仕事は、為すべきことは素人にわかりやすいものではなくてはならないはず。

それこそ素朴な“問題提起”。

政治家は政治の玄人のはずだ。それでメシを食っているのだし。
しかし、玄人の故か、彼らの言動・行動は素人にはわかりにくい。

丁寧に説明する。そう言った人の言がすでにして国民には分かりにくい。
理解不能な部分が多い。

彼らに“ノブレスオブリージュ”(高貴なるものの責任)を求めても致し方ない事だが、政治の世界では、玄人のやっていることは裏ワザ、寝業、何かの意図が常に垣間見える。高貴さはどこにもない。

二階と言う自民党の幹事長が暴言を吐く。素人は暴言と受け止めても玄人のなかでは受け取り方が違うようだ。

「自民党はいろいろ言われているが耳を貸す必要は無い。正々堂々と自信を持っていけばいい。」
「だいたい、いい加減な事を書くメディアの人がいる。こっちは料金を払って読んでいるんだから、書く方は責任をもってやってほしい」

これが玄人の味方だ。裏にはなにかの意図がある。
それを読み解くのは“玄人”の政治記者のお仕事なのだが。

素人として、一般人として、多くの義務を課せられている国民として言おう。
「バカ言ってるんじゃない。ジコチュウもいい加減にしろよ。あんたらの給料は我々の払った税金でまかなわれているんだ。まっとうな政治をしろよ」と単純明快に。

玄人の特性として、攻めには強いが守りには弱いという傾向がある。
かつて民社党は自民党を攻めにせめて政権を勝ち取った。

政権に着くと守りの弱さが露呈した。鳩山、菅、野田。次々と党首が変わり、選挙でみじめな敗北をきした。
そういう意味では安倍は守りに強かったといえるかもしれない。皮肉なことに。

民主党の陰の立役者だった小沢一郎も守りには弱かった。それは彼が自民党にいた時を振り返ってみてもだ。

民進党の蓮舫が代表を辞任した。攻めには強い彼女も、党内問題含め、いや、党内からの攻めには、守りには弱かったのだ。

素人の世界では攻めになんとかとか守りになんとかという特性は無い。

守るべきは自分たちの生活なのだから。

メディア、特にテレビは何かがあると必ず「専門家」という玄人を登場させる。
専門家とはそのことについての知見はあろうが世間一般にすいては視野が狭い。

だから時々素人はその狭い視野の見識に戸惑う。

原発事故がその典型かもしれない。例えば1μ㏜を巡って専門家の見解は、安全か安全でないかを巡って二分されていた。
「避難」を左右したのは素人がつぶやいたネットの言辞だった。

原発についてはまったく素人のはずの安倍が「アンダーコントロール」などとほざいた。
本当の素人はデブリを確信していた。

あれから6年以上経って、ロボットの画像を見て、なにやら渋々のようにデブリを認める専門家、玄人。

素人の国民は玄人である官僚をクビには出来ない。
素人の国民は「選挙」という大きな権利を持っている。総理大臣をすらクビに出来る。

政治家が「職業としての政治家」「職業としての専門家、玄人」であるならば、素人をもっと畏怖すべきだ。
それが民主主義というものだとあらためて思うのだけど。

“チェルノブイリ”異聞

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