あの日から4年9か月の「11日」だ。
福島の海岸では県警や応援の警察官が、雨の中、不明者の手掛かりを探す11の“行事”にたずさわっていた。毎月繰り替えされる同じ光景。
不明者という死者への生者としての一つの使命として・・・。
福島の光景は変わったところもあれば変わらないところもある。
大方、フレコンバッグの光景はまだそのままだし。
昨日は昨日でまた1F構内で奇異な現象があった。
廃棄物処理建屋近くの地下坑道にたまっている汚染水の濃度が1年前に比べて約4千倍上昇していたというのだ。どこかの高濃度汚染水がなんらかの理由で流れ込んだということだ。
つまり高濃度の汚染水や放射性物質がなお厳然とそこには存在しているということだ。
そのことを問われた官房長官は「原因は調査中であり、外部への流出や汚染の心配はない。東電や経産省が適切に対応している」と答えていた。
「心配はない」。この言葉を聞くたびに4年9か月前を思い出してしまうのだ。
「いまのところ心配はありません」「念のために」「健康に影響はありません」。
あの時の官房長官のテレビの前での発言。それを信じて“選択”を間違えた県民も多かった。
国というものへの不信感が増幅されたのが原発事故そのものであり、事故への対応だった。
4年9か月、仮設で暮らし続けている人もいる。そうでない人もいる。仮設から出た人が言っていた。
「仮設が懐かしい」と。
それは人間同士の繋がりということだろう。連帯意識、同じ環境、境遇が生んだものだろう。
仮設・・・。自らの体験で言えば、それは戦後の「復興長屋」のようなものだった。
懐かしくは思い起こさないが、記憶だけははっきりしている。
焼け跡に建てられた復興長屋。一歩表に出れば、闇市、疲れ切った復員兵、電車に乗れば出会う傷痍軍人。
何よりも子供ながらに貧しさを感じたこと。毎日のようなスイトン。メリケン粉だけのだ。
常に餓えていた。
子供ながらに闇市を徘徊していた。10歳違うが、野坂昭如が「闇市派」と自称した感覚はよくわかる。
野坂も脳梗塞だった。口述だと聞くが、無くなる数時間前に出版社に彼の原稿が届けられていたという。
そこにはこんなことが書かれていたという。
“日本の都会で暮らす人々の間で自然や農業への関心が薄れていると、食への危機感を表明。テロが脅威となっている世界情勢にも言及し、空爆では解決できない「負の連鎖」を断ち切ることが必要だ”というような趣旨が。
そして、末尾の一文は「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」と警告を発しているという。
また、別の地方紙にはこうも書いているという。
「いつも食い物のことを考えていた。腹が減ったというのが生の実感だった。今も、えらそうなことを言う人を見ると思わず、こいつが腹が減ったらどうなるかと考える」と。
彼が脳梗塞を発症した主因は知らない。ただ、感じるところでは、それは大島渚もそうだったように、時々「激高」する、それから来る高血圧かもしれない。
4年前のきょう、どうにか手にしたテレビで襲いかかる津波の映像に、ただただ戦慄していた記憶。病床にあった野坂はどんな思いを抱いていたのだろうか。
2015年12月11日金曜日
“チェルノブイリ”異聞
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