間もなく今年も終わる。なにやら暦に縛られたような日常がどうにも不可思議だ。
今年、何が終わったのか。結局は何も終わっていないのではないかと。
戦後70年と”節目“が刻まれたが、結果、「戦後は終わっていない」、と思う。
かつて佐藤栄作は「沖縄が返還しないと我が国の戦後は終わらない」と言い続けてきた。
日本に駐留する米軍基地が70%以上も置かれたままの沖縄。
沖縄の戦後は終わっていない。
「終わり」ということは、それまでに在ったことを“無かったこと”にすることとも言える。
天皇陛下は82歳の誕生日にこう語っている。
//今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。この戦争においては、軍人以外の人々も含め、誠に多くの人命が失われました。平和であったならば、社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり、このことを考えると、非常に心が痛みます//。
//この1年を振り返ると、様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います//
天皇陛下の中でも戦争は終わっていなのだ。戦後も終わていないのだ、と受け止める。彼が沖縄を慰霊に訪れると言うこと。それは「終わらざる戦争」、将来も続くであろう「戦後なるもの」への自分自身への確認でもあるのかもしれないと。
無理やり戦後は終わったとしたい国。戦後は終わっていないとする多くの沖縄県民。その相克は続くのだろう。
日本の戦後民主主義は終わったのか。戦後民主主義は勝ち取ったものではない。いわば与えられた民主主義なのだ。
それだからか。血肉となってそれは存在していないのかもしれない。
戦後70年と言う時期に、安保法制なるものが出来上がり、少なくとも戦争への道に加担する指針が“復活”した。
今、戦後民主主義を学び、考え、理解しようとしているのは、あのシールズという若者たちが個として立ち上がった、一つのうねりのような行動かもしれない。
民主主義を言ってきた政治家や政党が、それに加わっていくという構図。
崩れかけている民主主義を、立憲主義を取り戻そうとする“70年後の若者”が登場したのが70年の“節目”だったということ。
そして福島・・・。原発。人は「福島」から何を学んだのかと思う。何も学んでいないのだ。
目先のことしか考えられなくなっているのだろうか。
この国の「司法」も、ある意味「終わった」のかもしれない。三権分立という思想は無くなったとしか思えない。
「原発」の何が終わったのか。防護壁により高濃度の汚染水が貯まる一方だという。裏をかえせば、それは、やはり海に流れ出ていたと言うことにならないのか。
汚染水問題は振り出しに「戻った」。事故当時の政権が、何を根拠としたかは定かではないが、当時の約束は40年だった。
今、あと35年と言えるのだろうか。言えまい。40年はそのままなのだ。
「生」と「死」を人生の始まりと終わりと見るなら、終わりが見えてきた、そして多少なりとも戦争を知っている人間は、何を為していけばいいのか。
年の瀬にあたり、勝手に考える終わりと始まりのこと。
2015年12月26日土曜日
“チェルノブイリ”異聞
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