2015年12月30日水曜日

日常でなくなった日乗

「亭主謹白」とでもまいりましょうか。

この「からから亭」なるもの、“開店”したのは
毎日“開店”していました。
ネット上での“居酒屋談義”のようなことをしたかったので。

寄る年波を理由に、週休2日としたこともあります。
開店したのはたしか2005年の11月頃でした。

そして2011年の3月11日も何か書いていました。
パソコンが使えなくなり、しばらく間があきましたが、書けるように載せられるようになってからは毎日書き続けてきました。

そのために行動には制約が伴いましたが、毎日、何かを書かねばいられなかったのです。

大方、書いたものは、「福島」に関することや「福島」を引き合いにしたこと。政治のことも社会システムの在り様も、フクシマと関連付けていました。

会社員生活に終止符を打った時、東京に戻るか福島で余生を送るかの二者択一がありました。
様々な事情もあり福島を選択しました。

結果。あの3・11を「身近」に捉えられたこと、避難所の人たちと連日交流できたこと。そして、中途半端な当事者となり、見聞きしたこと、考えたことを書き連ねることが出来たと思っています。
「仮設住宅が無くなるまでは毎日書き続ける」。自分で自分に課した“覚悟”でした。

今年7月17日。脳梗塞なるものを発症。入院生活を余儀なくされました。書くことが出来なくなりました。悔しいほど不本意でした。

退院できてからも後遺症などがざまざまあり、毎日に復活させることは不可能となりました。

まさに日乗という日記が日常のものとならなくなってしまったのです。

後遺症の余波はまだまだ続きそうです。病院とも、リハビリ含め長いお付き合いとなりそうです。

日乗が日常で無くなったこと。
今年の慙愧に絶えないおおきな出来事でした。

入院と相前後して、この国は大きく変わったと思っています。
入院直前の塾でも、次回は民主主義の話をあらためてしようと言ったばかりでした。

半年近く、「民主主義」についてさまざま考えてきました。

来年は体調とも相談しながら、一年かけてじっくり民主主義を根幹に据えたことを、それに関連することをあらためて考え、話し合っていきたいと思っています。

ということで、今年のとぎれとぎれだった“営業”を今年は終わりとさせていただきます。

お立ち寄りいただいた方々に満腔の感謝を申し上げます。

来年もぼちぼちの、それこそ日乗ならぬ週乗となるかもしれませんが、気が向いた時に覗いていただければ幸いです。

良いお年を・・・月並みな言葉は使いませんが。

来年も多分、尖がった老人となることは想像に難くありませんが。
ありがとうございました。

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