2016年1月1日金曜日

「・・・始まり」について

時計が時報をうつと同時に、「よいお年を」という挨拶が「あけましておめでとう」に変わる。その“瞬間”とは何を意味しているのだろう。

そんな見当はずれの感想はともかく、新しい年を迎えた。2016年。あれから丸5年を迎える節目の年だ。

2011年、古稀を迎えた。それを一つの区切りとして毎年出していた年賀状をやめると書かせていただいた。無礼とは思いながらも・・・。
2012年を迎えた時、もし年賀状を続けていたら何を書くのか悩んだことだろう。
多分、何も書けなかったと思う。それでも300枚ほどの賀状を頂戴している。
嬉しいものだ。感謝にたえない。

年頭所感とは言わないまでも、年の始めにあたって想うことを書いてみる。

今年の干支は丙申だ。申年である。申は猿に置きかえられる。

猿は山の神だとも、山の神様からのお使いだともされている。

「三猿」というのがある。日光東照宮にある三猿。「見ざる・言わざる・聞かざる」。東照宮の謂れはともかく、この「三猿」が今年もこの国を“支配”するのだろうか。

去年ほど、民主主義とか平和とか戦争とか、そして憲法まで市井の人たちの関心が高かった時代はない。戦後70年と言う節目だけではなかった。

”危険“な空気を察知したからだと思う。

先頃、新聞の投書欄で21歳の学生のこんな投稿を見た。
「大学のゼミ合宿で沖縄を訪れた。沖縄に行くと友人に伝えたら、“うらやましい”と言われた。東京の学生にとって沖縄は観光地なのだ。
私も沖縄に行くまで沖縄の基地問題に興味がなかった。しかし、普天間飛行場や辺野古の反対運動を目にして、衝撃を受けた。長年基地問題解決を願っている人がいるのに、なぜ変わらないのだろうと思った。
私は沖縄で変わった。そして、国民一人一人が考えるべきことを国民は知らないということも分かった。無知だから無関心なのだ。そう思った私は沖縄から帰ったあと友人に沖縄の現状を伝えた。もっと知って欲しいと願いを込めて」。


そしてこんな投稿もあった。17歳の高校生だ。
「今年校外学習で広島・長崎を訪れ体験者の話を聞く機会を得た。体験談に胸を打たれた。私たちは日頃から積極的に戦争について考えることがあまり無い。戦争への意識が希薄になってしまう。だから、戦後70年と言う節目を大事にすることは重要だ。けれども、その時限りのものでは意味が無い。戦後71年だろうが72年だろうが、いつでも戦争に対する意識を持っていたい。戦後70年を“ブーム”に終わらせてはならないと思う」。

覚醒した「若者」が多いということ。たぶん、それは今年にもつながっていくだろうという確信を持つ。

そうなのだ。戦後はまだまだ我々を取り払ってはくれないのだ。

シールズの若者たちが、「リ・デモス」という団体を憲法学者や市民たちと立ちあげたという。

なにかがまた「始まる」予感がする。

あの奥田愛基くんの”原点“は福島にあるという。3・11後の支援活動に現地でたずさわりながら、その後の社会を見て、考えて、この国を変えなくてはいけないと思ったとも言う。

今年は参院選がある。同日選とも言われている。
政治の世界はこの選挙にむけてすべてが動いていくのだろう。

「選挙に大義はいらない。勝つことのみだ」。自民党の首脳がうそぶいているという。
その前に4月は「安保法制」が施行される。
改憲論議が増すだろう。選挙の争点に据えてくるだろう。
全ては改憲の為に。韓国とのこともそう受け取れないことはない。

また一年間、折に触れて「民主主義」を語るつもりだ。

憲法前文。戦後民主主義を言い当てている文章だ。理念だ。
少なくともこの前文にだけ関しては一切の改憲論には与しない。

新しい年の始めにそんなことを考えている。とにかく「無関心な大人」が「考えない大人」が多すぎるのだ。

もし、メディアがより一層「沈黙」を強いられるなら・・・。
一つの小さな声であっても、老骨鞭うって、言い続けていかないといけないのかと思っている次第。

今日は昨日の続きなのだから。

避難生活者はまだ18万人もいると言う。

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  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...