2016年1月8日金曜日

「求めない・・・」老詩人の“遺言”

伊那谷のタオこと詩人の加島祥造翁が亡くなっていたことを新聞の訃報欄で知った。旧臘25日、92年の生涯だったという。
老子の思想に傾倒し、「タオー老子」という現代詩を書き、「求めない」という詩集では山間の素朴な暮らしの中から生み出された素朴な言葉が書き連ねられている。

「3・11」後、それを、特に原発事故をどう自分の中で捉えるか。その時書棚の中から取り出して来たのが「求めない」だった。

求めない すると、何かが変わる。

あの大災害があっても、結局は何も変わらなかった。多くの人が言葉を失っていた。その後出てきた言葉は、頑張ろうであり、絆であり、手を繋ごうといった言葉だ。どれも悪い言葉では無い。当然の言葉だ。でも、どことなく空虚なものに感じられていた。

「前を向うって言うけどさ、どっちが前だかわかんないだよ。それにもう十分頑張って来たし」。仮設の人の言葉が「タオ」の言葉のように聞こえた。

加島祥造の本をあらためて手に取った。付箋を貼ってあった詩を数編・・・。

「求めないー
すると
いま自分にあるものが素晴らしく見えてくる」

「求めないー
すると
もっと大切なものが見えてくる
それは
すでに持っていたものの中にある」

「求めないーすると
求めなくっても平気だと知る」


「求めないー
すると失望しない」

「求めないー
すると
いま在る自分をそのまま見はじめる」

「求めないー
ということはいまのままでじゅうぶんと知ることなんだ
じゅうぶんと感じないから求める?
ちがう、じゅうぶんと知らないから求めるんだ
体はじゅうぶんと感じているけれど
頭が知らんぷりしているんだよ」。

戦争中、子供ながらに教えられたことは“欲しがりません、勝までは”だった。
そして戦後、欲しいものはとりあえず今日の、明日の食べ物だった。
戦後の戦いは兵器の戦いではない。飢えとの戦いだった。

来る日も来る日もすいとん。サツマイモ、サツマイモ。

でも、よく考えてみるとあの頃の方がどこか倖せだったような気もする。
誰もが何も持っていなかったのだから。求めるものもわかっていなかったから。

世の中は変わっていった。
欲しいものはどんどん手に入れなさい。
そうお国が発破をかけた。

そして「我慢する」という欲望を「道徳教育」は教えなくなった。

戦後70年余り。人々は経済成長をひたすら求めている。消費が美化され、使い捨てが文化とされ、煌々たる灯りと高層ビル、煌びやかな服装、消費を煽るテレビCM・・・。

科学技術の進歩は止まるところをしらない。

国家は国民にいろいろな事を求める。
国民の“小さな願い”はなかなか聞き入れられない。
財布の中はポイイントカードが重なり合っている。
正月の福袋に”夢“を求める人が群がる。

求め過ぎている。分不相応なものも、身の丈に合わないものも。

求め過ぎた・・・。

それが原発事故の根底に横たわるこの国の「翳」だ。

でも、それに気づく人は少ない。

それを諌める人たちが、確実に減っていっている。いなくなっている。ということ。

冬の日の夕景が、なにかを囁きかけてくるような気がして。

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