2016年1月29日金曜日

永田町「陰の軍団」

どうでもいいことなんだけど・・・。
甘利の辞任会見、半分は本当のことを言っていると思う。
カネの受け渡しと秘書のことだ。

彼の秘書がどいう人かは全く知らない。彼だけでなく大方の議員秘書を。
だから「知っている」いくつかのことを書いてみる。

いつの頃からか「政策秘書」というのが出来た。それが政策立案にどれだけ寄与しているのかわからないが。そして「第一秘書」「第二秘書」というのがある。
彼らは国家公務員特別職という身分だ。

その他は政治資金管理団体も含めて、議員の自費や政党助成金の中でのその団体の「人件費」とされているはず。

かつて自民党の秘書団は大きな組織を為していた。そして派閥単位に秘書会があった。彼らは議員のカネ、献金も含めてだが、ある意味、その議員事務所の実権を握っていた。
さらにそれは相互扶助組織だった。

議員が落選すれば秘書は失職する。それを救済するのが秘書会の役目だった。

新人が当選してくれば、大物秘書をその事務所に回す。そしてその秘書が「永田町処世術」を“教育”する。

二世議員は大方父親の秘書を継承する。秘書は二代に忠勤を励む。

思い出すことがある。福田赳夫政権、折から導入された総裁予備選挙で、大平に負けた。「天の声にも変な声があると」言い残して総理の座を降りた。大平政権誕生の原動力は後藤田正晴が陣頭指揮をとった田中派秘書団の獅子奮迅の活躍だった。

民主党政権が出来、自民党が下野した時、生き残った秘書団が落選議員の秘書を支えた。
民主党政権、そこの議員に優秀な秘書は居なかった。官僚を抑えつけっることを良しとしていただけだから。

自民党が復権した。甘利の秘書が父親の甘利正の時から仕えていた人ではないのだろう。

秘書はあらゆる「陳情」をいかにさばくかが仕事だ。選挙区からの陳情。大変な数だ。選挙区の人間には「当選させてやった」という思いがある。
何でも持ち込んでくる。

窓口の秘書は担当官庁に電話する。時には出向く。
「うちの議員がどういう経過になっているかって気にしているものですから」と一声言えばいい。官僚はその言葉の裏の意味を十分知っているのだから。

甘利事件でこんな昔のことを想い出してしまった。まだ政治献金が、いわば野放図にされていた時代、秘書が自分の取り分と議員の取り分を“仕訳”している場面を見たこともある。

政治とカネ。およそ「民主主義」とは無縁の世界だ。

「おやじ」に終生忠勤を励む秘書もいる。おやじを踏み台にして成り代わろうとする奴もいる。

どんな秘書を持つか。それはその政治家の命運をも左右する。それらを敢えて「陰の軍団」と呼んだ次第。

「総理大臣とは孤独なものだぜ。」ある総理大臣経験者がしみじみ述懐したことがある。孤独な決断を強いられると。

安倍は、きっとあの生まれ育ちからして孤独に耐えられない人なのだろう。気心のあった人といつも“同調”していないと落ち着かない性格なのだろう。
これは秘書官経験者から聞いた話だ。

以前、今の公邸、前の官邸の首相執務室に入ったことがある。重い扉を閉めると外の物音すら聞こえない“孤独と言う名の妖怪”が隅で様子をうかがっているような雰囲気の場だった記憶・・・。

甘利の後任に石原を、担当政務にど素人の石原を据えたのも、その孤独感緩和の故では無いかとも思ってしまう。
安倍は「任命責任は私にある」と明言した。

任命責任とはなんぞや。責任がある以上、その責任をどう取るのかが問題だ。
口先だけのことでは済まされないはず。

何をもって安倍が任命責任を果たすのか・・・。何もすまい。あの“丁寧な説明”ですら“とんずらこいた”人なんだから。

さてさて、明日以降、国会はどんな展開になるのだろうか・・・。

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