終わりと始まり。池澤夏樹が新聞に連載しているコラムの通しタイトルだ。
あの3・11以降から始まった、このコラムの、この表現がすごく気に入っている。
そうなんだ。何事にも終わりがあり何事にも始まりがある。
聖書の伝道の書を紐解く気持ちだ。
このブログ、3・11以降、毎日書いてきた。正直骨の折れる“仕事”だった。
7月17日。脳梗塞を発症して以来、それは頓挫した。
ようやく何かを書けるようになって、それまでの「連続」は「不連続」となってしまった。
今年も間もなく終わる。そして新しい年が始まる。
巷では一年のまとめだとか総括だとか振り返りだとか、なにかとかまびすしい。
今年を締めくくる漢字一文字が「安」だったと、あちこちで話題にする。
メディアがそのお先棒を担ぐ。
ばかばかしい限りだ。漢字検定協会とやらが決め、清水寺の管主が大書する。
無意味な“風物詩”。
しかも字が「安」だ。いかようにもとれるだろうが・・・。
安という字は「不安」という言葉でしかとらえられない。
我々は今、まさに「不安」な時代に生きているからだ。
「不安」が生む数々の問題と向き合い、考えながら生きている。
福島では何が終わり、何が始まるのか。それをまとめて語れる人はいないだろう。不連続の連続が繰り返されているのだから。
たとえば「帰還問題」。楢葉町では国が帰還許可を出した。それに伴う補助制度も打ち出した。国にすれば「終わり」ということになるのだろう。
しかし、わずか数十%にしか過ぎない人しか帰らないという。帰ることを決めた人はこれからが「始まり」だという。それもマイナスからのスタートの。
中間貯蔵施設の問題も大方の住民の合意が計られたと言う。施設建設が進むと言うことは国にしては、その件は終わりということなのだろう。
なにがしかの金が交付される。
“被害”を和らげるためのカネが人々の不和を呼び、それは生き辛さにもつながる。
カネによる線引き・・・。
汚染水対策で遮水壁が完成した。1F構内の汚染水問題は「終わり」ということなのだろう。しかし、高濃度の汚染水が遮水壁内に溜まっているという。
あらたに考えなくてはならない問題の「始まり」だ。
指定廃棄物の問題は何らの進展も無い。終わりも始まりもない。
福島にとっては、5年間、“安心”と“安全”とは何かが問い続けられて来た。
仮設住宅に暮らしていた人たちも、試行錯誤を繰り返しながら、そこを出る人も多い。
その人たちにとっては何かが終わったと言うよりも、新しい生活を不安を抱きながら”生きること“を始めなくてはならないのだ。
来年は「あれから5年」だ。メディアはさまざまな特集を、節目として組むだろう。それがどんな視点から伝えられるか。
終わりと始まりということを、もろもろ考えている・・・。
2015年12月20日日曜日
“チェルノブイリ”異聞
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