2016年2月14日日曜日

政治への“リテラシー”能力

政治への無関心層が増えている。大方の選挙では投票率は5割を越えない。
なぜか。簡単に言ってしまえば国民が政治を「見捨てた」ということだ。
何故見捨てたのか。政治が、今さら使うのも錆びついた言葉のようだが「劣化」しているからだ。

政治そのものも、政治家も。

劣化と言うよりも、その立場になってはならない人がそれになっている。政治家の本義をわきまえている人は皆無に等しい。

最低限の知識も教養も無い。最高権力者であることを誇らしげに語る総理大臣自身がルビをふった原稿を読んでいるのだから。
倫理観などと言う言葉も通用しないのだろう。政治家とは何かと問われても答えられない輩ばかりなのだろう。

まったくおかしな風潮が蔓延している。
辞めればいいという風潮。誤ればいいという風潮。発言を撤回すれば許されるという風潮。それらに言い訳は無用だ。

発言も行動も、その人の本来の姿なのだから。そう考えて人生を送ってきた人たちなのだから。議員と言う“名誉”と“待遇”だけを欲した人たちなのだから。

“不倫議員”が辞職した。安倍の指示によるものだ。経歴はあまり言いたくないが、あの環境大臣だって、まったくもって知性も知識もない、書かれた原稿さえ読めば済んでいたアナウンサーあがりなんだから。たぶん彼女は1Fのことについても、福島の事についてもほとんど知らないだろう。

これだって安倍の指示で発言を撤回した。撤回して済むもんじゃない。そう思ってきたのだから。漢字が読めない担当大臣。どんな学校教育を受けてきたのだろう。漢字が読めないのは政権にとっては当たり前のことなのだろう。隣に座っている元総理大臣様だって、日本語を読めない、使えなかったじゃないか。

だから彼らの言っていることが全く信じられなくなっていく。

なんとかチルドレンと言われる輩。
そう、小泉政権時当選した杉村なんとか。第一声が「料亭に行きたい」だった。それが今、タレントとしてテレビで笑いをとっている。

政治家教育を誰がするのか、どこがするのか。
松下政経塾という政治家養成学校があった。そこを卒業した人もまだ現役でいる。しかし、その人たちはおよそ「松下理念」のはそぐわない政治家だ。

日本の民主主義の在り様は決して健全ではない、と思える。

それを国民は皮膚感覚でわかっているのかもしれない。見捨てるに値するものだと。

決して、無関心層、選挙に行かない人を“歓迎”しているわけではない。政治が愚かだからこそ、国民の側に新たな「政治へのリテラシー能力」、読み解く力が求められていると言うことだ。

あなた方が政治を見捨てても政治はあなた方を追い掛け回す。餌に使う。

でも、それとても“難しい”。なぜなら今の選挙制度では、有権者の意志は反映されていないということ。今の選挙制度が、政党の公認を得ないとなかなか当選できないと言うこと。そして、政党が政党の体を為していないということ。

安倍政権になったから発言や行動、カネの問題が頻繁におきるのか。安倍は「自分以下」の議員しか閣僚に登用しない。
でもよく考えてみたら、安倍を越えている政治家も今の自民党には存在していない。

民主主義とは、自分で見聞きし、学び、考え、判断し、行動に移すことだ。
今すぐには無理かもしれない。でも、リテラシー能力を身に着けた国民が、この政治の世界を変えてくれる日が来ることを想う。

そして政治リテラシーとはメディアリテラシーと密接不可分にあるということも。
リテラシーとは「与えられたもの」としてあるのではない。自分から「取りに行く」ものだということも。

メディアに加えられる無知としか言えない圧力の数々。それにメディアがどう立ち向かうか。それを見極めるのもリテラシー能力なのだと。

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