2017年4月26日水曜日

政治家の能力、責任ということ

今村復興大臣が辞任した。後任はいわきの吉野だという。しかし、彼に復興大臣として、その職責を全うできる能力があるのか。はなはだ疑問だ。

復興大臣と防災大臣とは全くその職務を異にする。
復興大臣には、他の大臣と「喧嘩」をしてでも、被災地を守り、再生させる職務が要求される。

改造ごとに変わる復興大臣。それも「実力」のないお飾りのような大臣。
それは安倍が「復興」を真剣に考えていないことの証左に他ならない。

二度にわたるこの今村某の”暴言“。失言では無い。
日頃の本音が日本語能力の無さのゆえに発せられた言葉だ。
自主避難者は自己責任。
今さら言っても始まらないが、原発事故は国策による“失政”が引き起こしたことなのだ。
そして今回の発言。
21兆円の毀損。金額の問題では無いのだ。
流浪の民を生じさせたのだ。
守るべき国民を放逐したのだ。
それは国が為したことなのだ。

原発事故の意味合いさえ分かっていない。

これが今の政治の実態だということ。

辞任ではだめだ。更迭・罷免しなければならないのだ。

依願退職ではなく懲戒解雇にしなければならないことだ。
下世話に聞こえるかもしれないが、依願退職には退職金が支給される。
懲戒解雇にはそれが無いはず。

「責任」とはなんだ。政治家の「政治責任」とは何か。
安倍も「任命責任がある」と明言した。
政治の世界では責任を取ると言うことはその職を辞するということだ。

安倍晋三という一人の政治家と、そこにこびへつらう官僚と、お側用人。それでこの国の政治が行われていると思い込んでいるのではないか。

原発事故現場は東京から240キロも離れている。現場はアンダーコントロールされている。
今村発言は安倍の思考と共通しているのだ。だから大臣に起用したのだろう。

任命責任があると言うことは言葉通り任命権者に責任があるということ。
責任とは職を辞すると言うこと。

仮に、北朝鮮のミサイルが沖縄の米軍基地を攻撃したとしよう。
「沖縄でよかった」と言いかねない閣僚だっているかもしれない。
沖縄と福島は同じような“価値判断”の基準とされてもいるようだ。

国会で答弁不能の法相。同じような防衛相・・・。

共謀罪をめぐる委員会の強行運営に抗議する野党議員を「テロだ」と大声でののしる自民党議員の無知さ加減。

教育勅語の徳目を“評価”しながら、道徳教育を言う官房長官が、あの薄汚い不倫騒動をやってのけている政務官を「道徳には違反していない」とかばう見苦しさ。

安倍内閣は総辞職すべきだ。しかし、その替りが自民党にはいない。野党は、少なくとも第一党の民進党には期待するべき何物も無い。

日本の政治は、限りないカオスの中に置かれるかもしれない。そのカオスを恐れる人たちが安倍内閣を支持している。
支持率50%超の中の「カオス」。

今、近代国家と称され先進国と位置付けられている各国は、少なからず「カオス」の中にある。

しかし、いったんカオス(混沌)に陥って見た方が、新たな方途が見えてくるかもしれないのだ。

「カオスの中の民主主義」とでも呼んでみようか。いや、もしかしたら民主主義とはカオスの中から育っていくのかもしれない。
そんな“妄想”すら頭をよぎる。

バカにするのもいいかげんにしろよ。一言で言えばそういうことだ。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...