2017年4月30日日曜日

「地下鉄は停まり原発は止まらない」という笑談

北朝鮮がまたまたミサイルを発射した。すぐ落下した。ミサイルだたのかそうでは無かったのか。
何の為のミサイルだったのか。どこを狙ったものだったのか。
全ては不明だ。

これまでも北朝鮮は何回もミサイルを発射している。

しかし、今回の場合の国内の対応は異様であり、これまでの対応はなんだったのかと疑問視することが多い。

4月に入って北朝鮮を巡る動きは喧噪を極めていた。アメリカのトランプの言動や米軍の動きが、傍証としての北の脅威を煽った。

自衛隊の持つパック3に動きはなかったようだ。あったのだろうけどマスコミが報道しなかったのかもしれない。

昨日早朝、それみたことかと言わんばかりに北がミサイルを発射した。そのニュースは全国を駆け巡り、“異様”ともいえる対応がされた。
東京の地下鉄などが運転を中止したのだ。
乗客には「その旨」が伝えられたというがさほど「動揺」はなかった。

政府は4月になってから「北のミサイル」に関して過敏になっているようだ。
Jアラートなるものを鳴らす。表に居る人は地面に伏せろ。なるべく強固な建物の中に逃げ込め・・・。

おおよその国民は知っている。知っているけどなんら反応しないだけ。
伏せて難を逃れられるわけはない。強固な建物なんて身近にはない。すぐに飛んで来るものだし。

地下鉄はそういう意味では「強固」な避難場所だろう。しかし止めたのは避難場所を確保しようということでは無いようだ。

安倍は国会でミサイルの弾頭に化学兵器が積まれている可能性を言及した。

なんと無辜なる民なのだろう。「防毒マスク」が俄然売れているという。製造が追いつかないくらいに。
核シェルターを自宅に作ろうとしているひとも多いという。

防毒マスクはその毒ガスが風に乗って消えるまでの10数分“役立つかもしれない”というものだ。

3・11、原発事故のあとマスクをしろ。家には目張りしろ。外出するな。そんなことが「正しい防御法」だと真面目に公共機関から伝えられていた光景を想起する。
それがいかに「無意味」だったかということを。

公共交通機関を止めるのなら、その「テロ」の目標の一つだと、ど素人でも思える原発を、稼働中の原発にすぐ制御棒を差し込んで止めないのだ。

笑うしかないのだ。笑ってすむ話ではないのだが。

北朝鮮が真面目に考えて日本を攻撃し、彼らのバカの一つ覚えのような言葉、「殲滅」をしようというなら、狙うのは原発であり、米軍基地のある場所だ。

東京近郊にだってある横田や横須賀だ。

北に怯えて電車を止めているのに、肝心の首相や閣僚はこぞって外遊に励んでいる。ゴールデンウイークの恒例行事。

これだって笑える。
この時期の外遊によって「北の暴走」を止める手立てが見つかったならともかくも。

外遊に明け暮れていると言うことは危機感が無いと言うことではない。北が日本本土を攻撃するわけはないという情報と確信があるからだなのだろう。

アメリカの空母カールビンソンを護衛するとして自衛隊の艦船が同道している。
「日米不可離」という思いこみの中での“軍事行動”。

身の回りのこと、海上で展開されている軍事行動。

これらの事を読み解く術はない。マスコミ報道によることだけが表面的な「事実」としてあるだけなのだから。

「北が攻めてくる、北がミサイル攻撃してくる、核攻撃してくる」。連日そういっていれば、誰しも戦争を疑わなくなる。
ナチスのゲーリンクの「宣伝手法」だ。

五月晴れの中、ホームセンターには庭を飾ろうと鉢植えの花を買い求める人が大勢いた。

ナチスの手法と美しい草花と。何をどう考えればいいのだろうか。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...