今村復興大臣が記者会見で「ぶざま」な姿と言動をみせた。
そこから垣間見えてくることを書く。
一昨日は避難解除が出され、対象者の1割程度が「帰宅」に向けて動き始めていた時だ。
かたや、3月31日を以って自主避難者への支援は打ち切られた。自主避難者には、それぞれの考えがある。その「それぞれ」を斟酌するのが民主政治ではないのか。
この今村と言う男、ちょっと前には福島の復興はこれでマラソンに例えれば30キロ地点だと言ってのけ、あの内堀福島県知事をしても「これでゼロからのスタートです」と不快がられ、別の場所では「故郷を捨てるというのは簡単だが、戻って頑張って行くと言う気持ちを持ってほしい」とも言ってる。
全くの当事者意識の欠如だ。
復興庁の職員の中には福島県の職員とともに、自主避難している人のところに足を運び、支援の策を考えている人もいる。
汗を流している職員からもこんな大臣に対しては言いたいことは山ほどあるかもしれない。官僚機構の中で言えないだけだ。彼らは“泣いて”いる。
過日、テレビに出ていた倉本聡が暫時の黙考のあと言った。
「これは棄民です」と。
この今村という男、大臣ならどこでもよかたのだろう。「復興」ということが何を指すのか、福島県からの自主避難者が何万人もいりということに全く考えが及ばない政治家のようだ。
そもそも避難したくてしたわけではない。せざるを得ないからしたのだ。
自主避難者という“難民”を生み出したのは原発事故であり、その原発は政府の方針にのっとって稼働してきたものだ。
一昨日の記者会見、一人の記者が自主避難者の扱いについて問いただした。
今村は「自己責任」だと言ってのけた。それに怒った記者がたたみ掛けるように質問を続けた。
出て行け、もう来るな。今村はそんな捨て台詞を吐き、会見場を去り際に「うるさい」という一語を吐いて。
こんな物の見方しか出来ない男を担当大臣にしたのは他ならぬ安倍首相だ。
安倍の頭の中からは「福島」は消去されている。しかし、また近々飯舘に来るとも聞く。「安倍さんのパフォーマンスにかまってはいられないよ」。
住民の一人の声だ。
今村と激しくやり合ったのは西中というフリーのジャーナリストだと聞く。
寄せ集めの寄り合い所帯の復興庁にだって記者クラブというのがあるはずだ。
復興庁なるがゆえにその記者クラブには東北3県の地方紙の記者だっているのだろう。推測だが過去の体験からすればそうだ。
もちろん大手メディアも当然加盟している。
フリーのジャーナリストと大臣の激しいやり取りの中になぜ、既存メディアの記者は入っていかないのか。
なぜ西中の援護射撃をしないのか。パソコンのキーボードを叩くことだけに没頭しえいるのか。
メディアがこの体たらくで権力の監視が使命であるジャーナリズムが機能しているのか。
していない。
社説でいかに今村の非を書いたとて、現場では沈黙の中に身を置いていたメディア。
許されない者どもだ。この国の姿の一つだ。
新聞の川柳欄にあった。
「自己責任そういう国は無責任」と。
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