2012年3月7日水曜日

「否定」と「満足」の自己   3・11へ

確かに、3・11へ向けて新聞、テレビを中心に「特集」が始まっています。それらを見、それらを読む。そして多少考える・・・。疲れます。正直。

NHKスペシャル。揺れる画像と、押し寄せる、呑み込んで行く津波の映像。いたたまれないような思いで目を凝らしています。正視するのは辛い、辛すぎる。でも、見ておかねばならない、いや、見るべきだと。

「辛かったら見ないでください。消してください」のスーパー。なんか言い訳っぽい。堂々とやれよ。それが使命だと思っているなら。

新聞の特集記事。内容は豊富です。読むのに時間がかかります。かなりの時間を費やします。この日々がまだ数日は続くでしょう。

「なんで、流される人を助けられえなかったのだ。なんで手を放してしまったのだ。原発退避の指示が無ければ、助けを求める声の人をどうにかできたのかもしれない」。そんな“うめき”にも似た声が聞こえます。

「あの時こうしていれば、家族は・・・」。そんな後悔にさいなまれている人たちも多くいます。

そして、その人たちは言います。「生きている自分とは何なのだ」と。激しく「自己否定」する人が多いのです。

哲学的な話をしているのでなく、「自己否定」という言葉でしか表現できない人たちがいると言うこと。

人を助けるべきだったのか、カメラを回し続けるべきだったのか。未だ持って悩み続けている報道の人もいます。職業に、仕事に徹するべきだったのか。人が人であるべきだったのか。自己否定にもつながりかねない悩みを未だ抱えている人たちもいる。

防災ヘリの上から、取材ヘリの上から、情報を送ると言う使命を託されたがゆえに、助けを求める人たちをそのままにして飛び続けるしかなかった人達。

自衛隊も消防も警察も。被災地に触れた人たちには、多くの「こころの傷」を負い、ケアが必要になった人も数多くいる。

生き残った人たちに、何を語ればよかったのか。死者に対してどう向き合えば良かったのか。自己を否定し続ける仏者もいる・・・。自己の判断が正しかったのかどうか、なんら解決を得られないままの医者もいる。

「自己否定」からは何も生まれないということは承知の上で。

自己満足に納得している人たちもいる。
「反原発集会に行ってきた」。
「義捐金を送ってきた」。
「ボランティアに参加してきた」。

それぞれの人がそれぞれの立場で行ってきた事の様々。自己満足という形での自己の思いの完結。

思いでも、行動でも、自分で自分が納得できるというはいいことなのです。でも、その満足は完結させてほしくない。次の満足につなげて欲しい。

求めたいたものを得られた「幸せ」がある。得られたら次の「幸せ」を願う。それと同じように。

でも、小さな満足の積み重ねが、多くの人への満足につながるのかな。

ワカラナイ!!

学生時代、時折、安保反対デモに参加していました。どこのセクトにも属さない単なるノンポリ学生。殴られ、蹴られ、水をかけられ、ボロボロになって帰ってきました。
自己満足もありました。だけど、どこかに空虚感がありました。そして、なんにも変わらない、変えられないという自己否定への思いを強くしていた時代もありました・・・。

そして今、自己否定もせず、もちろん自己満足も出来ずに、どこかで茫然として現在を見つめ、去年の映像に接している俺。

自己否定の反対語は自己肯定だったかも。俺って、何にもせずに、勝手に自己肯定してる奴にすぎないかも。いやだね!自己嫌悪が待っているかも。

2012年3月6日火曜日

ジャーナリストとは・・・ 3・11へ

「3・11」後、とみに目にし、耳にする機会が多くなったような「肩書」いろいろ。

専門家。何々に詳しい人。ジャーナリスト。それぞれに“定義”がはっきりしない漠然とした呼称と。そうそう、それに有識者ってのも。

専門家と呼ばれる人は、だいたい、学者さん。どこどこ大学なんとか学部教授という具合になるんでしょうが。詳しい人っていうのも、こんな具合か。

先日開かれた女性宮家に関する有識者会議。そこで意見を述べた人が田原総一朗氏。テレビやネットでおなじみの。彼の肩書はジャーナリスト。きのう対談していた桜井よし子さんもジャーナリストって書かれてた。
鳥越もそうだし。元新聞記者じゃだめなのかな。

ジャーナリストの定義。はっきりしたものが無い。ジャーナルする人ってことか。
ジャーナルもよくわからない。単に伝えるということか、批評、解説という意味も含むのか。

そういえば、なんとかリスト、まだまだある。アナリスト、コラムニスト、エッセイスト・・・。ジャーナリストもさらに分けられているような。例えばフリージャーナリストとか。

新聞記者も、テレビ記者も、雑誌の記者もたぶんジャーナリストなんでしょう。世間一般の認識としては。ジャーナリズムって言葉に象徴されるように。
だけど会社に所属している人は、多分、社名で仕事している。

社名が無い、いわば“無所属”な人達をジャーナリスト、あるいはフリージャーナリストっていうのか。

それは他称なのか、自称なのか。

ジャーナリスト。なんか“偉そう”な気がする。

その人たちから貰ったことないけど、名刺にジャーナリストって書いているんだろうか。田原氏のには、たぶん“肩書”無かった。

論旨定まらないけど、なんでこんなこと書いているかというと、「3・11」後、特にネットを中心にジャーナリスト、フリージャーナリストという人が多数登場してきて、いろんなことを言っているから。

フリージャーナリストと称する人たちも「自由報道協会」という“団体”を作り、そこに所属する。そして、ここのメンバーは時々物議を醸す。
先日の週刊文春の記事も然り。

彼らは一匹オオカミかと思いきや、いや、一匹オオカミだろうけど。
これは新聞・テレビという既存メディアを決して擁護しているのではないが、一匹オオカミの自己完結ジャーナリズムは怖い気がする時あり。それは、なんらのチェック機能なく、勝手きままな、さまざまな言辞が吐き出されていくから。

著作物があり、既存メディアに登場した人たちは「著名」という冠も付くし。著名な人も、無名な人も。あちこちにいるジャーナリスト。
著名な人はそのまま「有名人」。彼らが言う、オピニオンリーダーともなる。

ジャーナリストという“職業”か。世の中を「大所高所」から見て、動かしていると思っている人か。

津波で輪転機を流された石巻日日新聞。翌朝、ロール紙にマジックペンで書いた新聞を作り、避難所に配った。「情報」を与えようと。被災地の人はそれをむさぼるように読んだ。

そこの若い記者が後日言っていた。「僕たちはジャーナリストとは思っていません。ローカリストです」と。いいね、この「ローカリスト」って言葉。

この石巻日日新聞の逸話。今夜、テレビドラマで放映されるとか。
見る気はしませんが。

かつて持っていた、テレビドラマのジャーナリズム性は無くなってしまったような気がするし、俳優が大声で「演技」しているのは、絶対しらけるから。

3・11へ。新聞各紙にも、もちろんその名刺には社名があるだろうけど、ローカリストたらんとしているような記者がいい記事を書いている。読ませてくれる。書くことで「寄り添って」いるような。

報道の自由とは。その思想が染み込んでいるような日本。自由が保障されている故にか。さまざまな「報道被害」が世を覆っているのも事実。

今朝の新聞記事にも、週刊誌の広告みても「煽り」があまりにも多すぎる。でも、何を書いても「自由」なんだもんね。この国は・・・。

2012年3月5日月曜日

たとえば「ボランティア」 3・11へ

東日本大震災後、どれだけ多くの人が「ボランティア」として現地に入っただろう。延べ何十万人、いや何百万人。避難所で食糧支援を手伝い、家の片づけをこなし、瓦礫の片づけに携わった。

一日、2万人近い人が全国各地から集まった。集まってくれた。

そのボランティアの数が急減している。一時の10分の一に。一日2千人弱に。

「ボランティア」。その“定義”は難しい。人を助ける。その一字では一致しているものの。何をするのかを含めて。

NPO法人としてのボランティアもいれば、個々人としてのボランティアもいる。

なぜ減ったのか。そこにもさまざまな問題が。ボランティア、それは「自己完結」が要求される。いや、そうだとされている。装備を自分のカネで整え、交通費を払い、食糧を調達し、寝場所も自分で確保・・・。

「行きたいけど行けない」。そう言っている人がいる。その人は決して裕福ではなく、仕事も持っている。でもボランティアに参加した。持ち出しになった金額は600万円を超えたという。無理だと・・・。これ以上は・・・。

ボランティアの現地での受け入れ窓口は基本、社会福祉協議会。そこの受け入れ態勢は未だ不備のまま。来られても対応出来ないと言った現実もあったという。それがメディアの話題になる。「来てくれなくてもいい」。そんな受け取り方をされるような報道も、参加意欲を削いだ。

現実。ボランティアは必要なのです。復旧・復興の文字や話題も上がる中、助けを必要としている人たちがいる。

東北の冬は寒い。きょうも季節外れのような雪。高齢者が多い仮設。雪掻きもままならない。

例えば福島県。医療従事者が足りない。医師も避難していった。看護師も。放射線技師だって。本人の使命感とは別に、家族からの避難要望。

医療機関の実態をつまびらかにしているわけではないが、そんなボランティアはなりたたないのだろうか。

ボランティアに参加した人たちは、直接、被災者と向き合う。被災地を見る。現実がわかる。そこにだけは、少なくとも“絆”が生まれる。

一過性のボランティア活動に参加して、それでよしとしている人たちは少ないのかも。また行きたいと思っている人たちが大勢いることを信じる。

雪が溶けて、雪がおさまって、春の気配が感じられるようになったら、またボランティアが来てくれることを願う。被災各地に。

蛇足のようだけど「反原発」を叫ぶためにだけ来る人たちはいらない。

三陸地方では早くから始まったという「復興ファンド」。福島の天栄村でも、米の「ファンド」が作られたという。都会の人が「参加」してくれているという。

もしかしたら、こういうことも「ボランティア」の一つかもしれないし。

2012年3月4日日曜日

例えば“瓦礫” 3・11へ

静岡県島田市の桜井市長がはっきり言っていた。岩手の瓦礫処理問題で。
「少数意見は切り捨てる。私は東北を思う。東北の復興に力を貸す」と。少数意見とは瓦礫処理反対を言う“住民”のこと。そしてその“住民”のうしろには、あの“市民団体”なるものの影が・・。

少数意見は切り捨てる。とんでもない発言です。民主主義の理念を否定するものです。世が世ならば。それをあえて承知で言ったと思う桜井市長の発言。彼を断固支持します。

この“非常事態”の時に、お題目言ってるのが正論だというなら、そんな民主主義はくそくらえだと。

国会を見てください。民主主義の名のもとに、少数意見の尊重という思想が当然のように語られている。少数政党の消長がかかっているということで、選挙制度改革も前進しない。
議会制民主主義の名のもとに、国民の代表として選ばれた国会議員。
この「国難」に際して、今や、考えるには自らの身分保障だけ。その身を捨てる覚悟無し。
選挙が怖い、選挙が怖い、その一点。

桜井市長は、いつだかしらないが、次の選挙では落とされるかもしれない。でも、それは覚悟で「正義」を唱えている。そう推測する。ネットや一部メディアで叩かれ、さまざまアングラ醜聞がまかれるかもしれないことを覚悟の上で。そう推測する。

神奈川県の黒岩知事も瓦礫受け入れを表明した。反対の声があがる。説明会。会場のこだまする「帰れコール」。その中にまた居た。あの連中が。
そしてテレビはその連中の中の“有名人”を時々番組に引っ張り出す。

双方の意見を公平に。建前だけのテレビの論理。

少なくとも、宮城・岩手の瓦礫に関しては、メディアはその主張を、立ち位置を明確に言うべき。出すべき。書くべき。

放射線量を検査して100ベクレル以下のものしか受け入れないと神奈川県知事も言っている。放射線量は焼却すれば濃縮される。100が3,000になることもある。

じゃ、それが、どれだけ「健康」(一番わかりにくい言葉、定義のない言葉だけど)に影響を与えると言うのか。これまでに、核実験の影響で大気中をさまよっていた放射線量は・・・。

瓦礫処理が、低線量被曝も含めて、外部、内部被曝含めて、危険だ、怖いといおうことか。

一概に比較する気も無く、放射線という物は各種あることを承知の上で言う。

反対という人は、人間ドック行くのやめなさい。行ってもX線検査は拒否しなさい。病気になってもCT検査拒否しなさい。それでしか癌の検査はわからないにしても。
“エホバの証人”に信者が輸血を拒否しているように。癌にかかっても放射線治療は拒否しなさい。あなたがたは「アレルギー」なんだから。

3・11以降、この国を覆ってしまった「不信」という空気。その延長線にあるかと思う瓦礫の問題。線量は問題ないのです。福島県の瓦礫ではないのです。

日本は一つだ。絆だ。あんな言葉に酔いしれていた人々。現状を見るに、あの言葉達は意味を失った。言葉が泣いている。

通信社の調査では全国の地方自治体の86%が瓦礫処理に難色を示しているとか。そういう報道。

かたや、瓦礫受け入れの自治体の動きあり。沖縄や秋田や。いわれなき反対運動の無い事いのるのみ。

老いの繰り言。昔の日本人は苦しみや悲しみを分け合った。分け合ったがゆえに、戦後の復興が成し遂げられたとおもうのだが。

何回も書く。富の分配の時代は終わった。負の分配がこの国を支えるのだと。

2012年3月3日土曜日

たとえば「風評被害」 3・11へ

昔、あることでよく交わした言葉。「去るも地獄、残るも地獄」と。
福島県から県外に避難した子供が「いじめ」に会い、山梨では保育園への入園を断られたとか。

まさに、逃げる(放射能から)も地獄、残るも地獄と。
なんでこうなるんだろう・・・。

原発事故後、こりゃ「風評被害」来るなって思っていました。案の定。しかし、ここまで蔓延するとは。
子供に関することは、風評被害どころじゃない。もはや立派な「犯罪」の領域。「差別」の領域。
親は、逃げた、避けたという自分の判断を責めるだろうし。

風評被害・・・・。あまり好きな表現じゃないのですが。

被害者がいるってことは加害者もいる。しかし、この件だけは「裁判」にかけられない。
立証出来ないから。「被害者」は東電に賠償求めることしかできない。

加害者。その元は、やはりメディアなんだと思います。いろんなメディアがあるけど。悪意がある無しに関わらず。善意の報道も、時によっては加害者になっている・・。

もう再三書いてきたことですが。

テレビでやっていました。スキー場の光景。まったく人がいない。スキー場の支配人は、例年の10分の一だという。たしかに映し出される光景はゲレンデのみ。

ただ、これは中継の映像ではない。いつの映像か。レポーターはいつ行ったのか。土日はそこそこ入っていると、そこの人からは聞いているのですが。平日の早朝なら、お客がいないのはありうる。

もし、人がいたら・・・「おいおい、これじゃ意図が違うよ、絵にならないよ」。そんな”悪魔“のささやきがカメラの脇から聞こえてくるような。そういう勘ぐりする元テレビ屋。

見ていた首都圏の人は思うでしょう。みんな行かないところなんだから、行くの辞めようって。誰もいないスキー場なんてつまらないしと。

県内の人達はボードも含め、家族連れで行ってますよ。

「被害」を訴えるのは当然です。スキー場のみならず。でも、それを訴えて、それを伝えて、何かが解決されるのか。不安は不安を増幅させる。それが大衆心理。

そう、この大衆心理というやつも風評被害の元なんです。人の「不孝」を見て、聞いて、気の毒だとは思いながらも、深層心理ででは、それで自らの「安心」を確認している。

だからテレビにお願い。福島県で、普通に暮らしている人たちがほとんどだという、普通の姿を伝えてくださいよ。

たしかに6万人以上の人が県外に避難しています。それは数字として事実そのものです。でも、その数字を大きく伝えることが、かえって「福島は危険だ」という印象を増幅させる。

責める気はないけれど、避難先で、避難した人たちが「恐怖」を語る。それが、また、一つのイメージを作っていく・・・。

NHKのクローズアップ現代の避難マップの報道も、結果、そういう増幅作用を起こすものだったような。

データは事実。それをどう受け止めるかは心理。

極論すれば、風評被害という言葉が無くならない限り、風評被害は収まらない。

3・11以降ずっと思ってきたこと。「伝える」ということ。その難しさにメディアは改めて真摯に向き合ってほしいのです。
一年――。新聞の特集、テレビの企画。とかく「検証物」に行きがちです。もちろん検証も絶対必要だけど、現状、そう現状をどう伝え、どう打破するかにあらためて視点を向けないと。決して興味本位でやっているとは思はないけど。

「差別」に対して、メディアは事実を伝えるだけで事足れりとするのかどうか。

2012年3月2日金曜日

ボクと「ふくしま」と、3・11へ

数日前、「闇米」と書いた。そしてあることを思い出しました。福島とのかかわりを。

戦後まもなくの頃。東京に住む我が家は、まさに食糧難でした。親、祖母、弟妹。来る日も来る日も「すいとん」。醤油出汁の湯の中に、小麦粉を練った〝球“を入れたもの。やけくそのように”球“を投げ込んでいたこども。

母親の郷里から素麺が送られてきました。木枠に組まれた大きな箱。廊下の隅に積まれた箱から数把を取り出し、醤油のタレで。連日。三食。ある日突然喰えなくなる。受けつけない。

断片的な記憶。ある日、母親は決意する。ヤミ米を買いに行くという行動に出る。箪笥の中から着物を出し、それも数着。風呂敷に包んで肩に背負い、「福島に行って、農家から米を買ってくる」。そういって早朝に出かけた。なぜ福島だったのかわからない。誰かから聞いていたのだろうか。物々交換。

夜、腹を減らして待っていた子どもの前に帰って来た母親は玄関で泣き崩れました。
「足元見られて、2升しか交換してもらえなかった。でも、それを持って汽車に乗ったら、ヤミ米摘発にあい、全部没収された・・・」。そんな話をしていたのを覚えています。

なんで福島だったのか。常磐線だったのか、東北本線だったのか。摘発されたのは。もちろん、福島のどこの農家だったのかも。

25年前、母親は亡くなりました。その遺品の中に、土地の権利書がありました。土地を買っていたらしい。その権利書に記されていた住所は福島県耶麻郡猪苗代町。そう書かれていたような気がする。今、想像するに、そこは多分山林か原野だと思います。いわゆる分譲地ではないような。

昭和63年8月2日。はじめて郡山に来ました。なんで福島に来たんだ。よく問われました。縁もゆかりもないけど・・・。それが答え。会社の都合だと。縁があるなんて考えたこともなかった。

でも、母親は、それが何であれ、「福島」というところに多少関わりを持っていた。「3・11」後に、突然のようによびさまされた記憶の断片。

なぜか、ここ福島県郡山市に居ついてしまったのです。定住してしまったのです。決断とかでは全く無く。自然に。

「居るべきところに居る」。そんな感じなのでしょうか。多くの友人や知人に恵まれ。

そして、「3・11」を体験。被災県民として。そして、さまざまな「フクシマ」を肌で感じ。

震災後、福島の人達から様々な援助を受けました。水、米、野菜・・・。ほんとうに沢山の物を貰いました。助けてもらいました。
そして、震災後、このブログで、毎日。「3・11」のこと、「フクシマ」の事を書いています。ここ以外でも書き、語りしています。

家財はかなり棄損しました。大損害です。「放射能」という言葉のもとで、さまざま、苦悩しました。

でも、ここにいて良かったと確信しています。ここに居るから、居たからこそ「語るべき資格」を持っているのだと。

「たまたま、そこに居た」ということ。「居るべくしていた」ということ。おそらくそうなんだと思います

2012年3月1日木曜日

3月、そして3・11へ

平成24年3月1日です。まもなく、11日を迎えます。あの日を。そう「3・11」を。
なぜか、昨日から、福島県沖や茨城県沖で、震度4の地震が起きています。

まさか「3・11」への準備でもしているように。

あの日を「3・11」という数字でくくることをよしとしない人も多くいます。たしかに、数字でくくるという事には抵抗感があります。
2万人近い死者と不明者、6万人以上の原発避難民。それを見て、聞いて知っている1億人の日本人、いや、世界の人々・・・。

反論あることを承知で、あえて「3・11」と言います。そこにはあらゆる意味やあらゆる事実を含めて、込めて。死者への鎮魂、生きながら苦しみ、悩む人たちへの思いも込めて。アメリカの同時多発テロ「9・11」とは、いささか違う意味でも。

原発事故を「フクシマ」、あるいは「FUKUSHIMA」と書くことに嫌悪感を抱かれる人も数多くいます。だけど、あえてフクシマというカタカナで語ります。
なぜなら。福島は単なる地名です。昔、誰かが名付けた地名であり、地図上の、行政区画としての呼び名、あるいは住所だから。カタカナにすることによって、数字で表現することによって、その数字の中に、カタカナの中に、僕は万感の思いを込めます。そして、そのわずか数文字には、数万人の、いや数10万人の“物語”があるという、悲しみがあるという、苦しみがあるという、悔しさがあるという、あらゆる事どもを含めているつもりです。

去年の3月1日の当店、からから亭。「あまりにも馬鹿馬鹿しい」というタイトルです。
女優の沢尻エリカをめぐる取り巻き芸能記者の馬鹿さ加減を嘆き、取材する側とされる側の、あまりにもの緊張感の無さに悪態をつき、大学センター試験の携帯電話使い、ヤフーへの質問で回答〝貰った“事件の馬鹿馬鹿しさを言い、混迷する国会の馬鹿馬鹿しさをあげつらっていました。国会・・・、そうです。総理大臣は菅直人という人でした。去年の今日も、去年のあの時も。

そして、最近のテレビのワイドショーの話題は、お笑い芸人女性の霊能者“幽閉”話し。
マンションを毎日囲む”報道陣“。
政治は・・・・。政局症候群にとりつかれ。馬鹿馬鹿しいです。去年と同じような“光景”。
さらには、電波塔が出来上がったことで、連日の大騒ぎ。

被災地ではきょう、高校の卒業式・・・。

そう、去年、たまたま総理大臣は菅直人だった。福島県知事は佐藤雄平だった。そう、たまたま。その人たちがその任にあったこと。
もしかしたら、それは歴史の必然だったのかもしれない。
我々が、必要以上の、いたしかたなく被る被害よりも、はるかに大きな被害者となるための。

去年の今日、10日後に来るあの大惨事の予兆はどこにもなかった。全てが「平和ボケ」そのものの日々だった・・・。

新聞は東日本大震災1年の特集を始めました。テレビも、3・11へ向けての特集や企画が始まるでしょう。

問題は、そこに、自らへの反省、検証も含まれるのかどうか。

目を凝らすつもりです。物理的に無理な場合もあるかもしれませんが。出来うる限り、それらを見届けたいと思っています。

そして、我々は「3・11」をどういう思いで、どういう考えで、どう迎えるのか。その“準備”に入っていかねばならないのかとも。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...