確かに、3・11へ向けて新聞、テレビを中心に「特集」が始まっています。それらを見、それらを読む。そして多少考える・・・。疲れます。正直。
NHKスペシャル。揺れる画像と、押し寄せる、呑み込んで行く津波の映像。いたたまれないような思いで目を凝らしています。正視するのは辛い、辛すぎる。でも、見ておかねばならない、いや、見るべきだと。
「辛かったら見ないでください。消してください」のスーパー。なんか言い訳っぽい。堂々とやれよ。それが使命だと思っているなら。
新聞の特集記事。内容は豊富です。読むのに時間がかかります。かなりの時間を費やします。この日々がまだ数日は続くでしょう。
「なんで、流される人を助けられえなかったのだ。なんで手を放してしまったのだ。原発退避の指示が無ければ、助けを求める声の人をどうにかできたのかもしれない」。そんな“うめき”にも似た声が聞こえます。
「あの時こうしていれば、家族は・・・」。そんな後悔にさいなまれている人たちも多くいます。
そして、その人たちは言います。「生きている自分とは何なのだ」と。激しく「自己否定」する人が多いのです。
哲学的な話をしているのでなく、「自己否定」という言葉でしか表現できない人たちがいると言うこと。
人を助けるべきだったのか、カメラを回し続けるべきだったのか。未だ持って悩み続けている報道の人もいます。職業に、仕事に徹するべきだったのか。人が人であるべきだったのか。自己否定にもつながりかねない悩みを未だ抱えている人たちもいる。
防災ヘリの上から、取材ヘリの上から、情報を送ると言う使命を託されたがゆえに、助けを求める人たちをそのままにして飛び続けるしかなかった人達。
自衛隊も消防も警察も。被災地に触れた人たちには、多くの「こころの傷」を負い、ケアが必要になった人も数多くいる。
生き残った人たちに、何を語ればよかったのか。死者に対してどう向き合えば良かったのか。自己を否定し続ける仏者もいる・・・。自己の判断が正しかったのかどうか、なんら解決を得られないままの医者もいる。
「自己否定」からは何も生まれないということは承知の上で。
自己満足に納得している人たちもいる。
「反原発集会に行ってきた」。
「義捐金を送ってきた」。
「ボランティアに参加してきた」。
それぞれの人がそれぞれの立場で行ってきた事の様々。自己満足という形での自己の思いの完結。
思いでも、行動でも、自分で自分が納得できるというはいいことなのです。でも、その満足は完結させてほしくない。次の満足につなげて欲しい。
求めたいたものを得られた「幸せ」がある。得られたら次の「幸せ」を願う。それと同じように。
でも、小さな満足の積み重ねが、多くの人への満足につながるのかな。
ワカラナイ!!
学生時代、時折、安保反対デモに参加していました。どこのセクトにも属さない単なるノンポリ学生。殴られ、蹴られ、水をかけられ、ボロボロになって帰ってきました。
自己満足もありました。だけど、どこかに空虚感がありました。そして、なんにも変わらない、変えられないという自己否定への思いを強くしていた時代もありました・・・。
そして今、自己否定もせず、もちろん自己満足も出来ずに、どこかで茫然として現在を見つめ、去年の映像に接している俺。
自己否定の反対語は自己肯定だったかも。俺って、何にもせずに、勝手に自己肯定してる奴にすぎないかも。いやだね!自己嫌悪が待っているかも。
2012年3月7日水曜日
“チェルノブイリ”異聞
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