3月31日。2012年。震災の影響で延期されていたテレビのアナログ放送受信。被災3県。
その瞬間を見届けました。目に焼き付けました。
「アナログ放送は終了しました」のテロップ。リモコン押すと民放は早や砂嵐・・・。終わりました。亭主の身近でも。何故か悲しいです。
たしか中学生だったか。新宿の西武新宿線の駅前にあった街頭テレビに見入っていました。野球だったか、プロレスだったか。
友達の家にテレビが入りました。靴屋のキンちゃんの家。プロレスを見に、近所の人が集まっていました。小さい画面に目を凝らしていました。
高校の時、友達のゴンの家にはテレビがありました。ビロード状の覆いがあり、棚の上に鎮座していました。毎日のように彼の家に遊びに行きました。テレビを見たかったから。
やがて我が家にもやっとテレビが来ました。家族総出で拍手で迎えました。まだ放送時間は短かかった。
ローハイド、拳銃無宿、アンタッチャブル・・・。白黒の外国映画にはまっていました。ベンケーシーもいたっけ、エリオットネスにあこがれたっけ、ジョシランドルって名前覚えたっけ。ララミー牧場、あ、それはローハイドだったっけ。
やがて、大学を出て、テレビの仕事に就きました。フィルムからVTRへ。テロップは全部手書きだった。今はパソコン。
カラー化で大騒ぎでした。
小中陽太郎さんは「機械仕掛けの玉手箱」と呼びました。大宅壮一さんは「一億総白痴化」と評しました。
福島に来て、デジタル化への“体験”をしました。デジタルの勉強もし、理論武装もし、監督官庁ともやり合いました。
無職徒生世の身になってからたびたび繰り返されてデジタルキャンペーン。タレント使い、局の女子アナに白いスーツを着せての“デジタル大使”。
デジタル化でテレビはどう変わるか。そんな講演にもずいぶん行きました。
メリット、デメリットの論理的問題ではなく、それこそ情緒的に完全デジタル化に“懐疑的”な感情を持ち、テレビの有り様を考えました。
とにかく終わりました。アナログ放送。「アナログ」という言葉は、今日から過去の言葉とされ、古いものの代名詞とされるのでしょう。もっとも、以前からもそういう風潮はあったけど。
知人にいます。デジタル化してない人が。一人暮らし。テレビが唯一の「オトモダチ」。その人の受像機は健在です。チューナーでしのごうと思っている。でも、そのチューナー工事が間に合わない。数日間、その人はデジタル難民になります。
被災地の光景。今の。公共施設や“残った”家の光景。どうみても置いてあるテレビが雨姿ではなく、アナログ専用のようです。デジタル波が届かない地域も散見されます。カバー率100%にはいかないのです。
とにかく今日の正午、テレビは一つの時代を完全に終えました。複雑な心境です。
高速道路の無料化も今日で終わりです。特別な地域を除いては。
雨が降っています。風も強いです。アナログ画面の砂嵐とシンクロしてきます。
はい、亭主はちょっと感傷的です。
2012年3月31日土曜日
“チェルノブイリ”異聞
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