「3・11」の少し前から、積極的にテレビ・新聞に接しようとして、可能な限り、それらを吸収しようとした。見た。読んだ。そして、それらから感じた事を断片的に語って行く。ひとくくりで語ってしまえばそれまでだが、それでは意を尽くしたことにならないし、伝えようとした人達に対して、逆に失礼にもあたるから。
「3・11」。それは多くの言葉を産み、また、多くの言葉を失った。
「絆」という言葉が生まれ、(もともとあったもにだが)、その言葉に生命が吹き込まれたようだった。「日本は一つ」「つながろうニッポン」。
これらの言葉も時間が経つにつれて、その輝きを失ってしまった。
「絆」。3・11の夜、被災地ではロウソクの灯りで作られたその文字が、海辺に輝いていた。悲しくなった。まだ、彼らは、その言葉を信じているのだなと思いと。その「言葉の力」に何かを託しているのだなと思うと。
絆という言葉は、すでにして、摩耗された言葉になってしまった。思いっきり、いいように使い古され・・・。
もし、今年の漢字というのがあるなら、「崩」か「壊」が相応しい。希望を削ぐと言はれるかもしれないが、それが現実なのだから。
被災地から届けられた言葉に感銘を受ける。
海に出て、静かに黙とうする男。かれはつぶやいた。「黙とうはする。だけど、俺は手を合わせない。手を合わせたらあいつは死んだことになる。俺の中では、まだあいつは生きている・・・」。
「合同慰霊祭とか、そういうのあるけど行きたくないな。行かない。一人静かに祈りたい。亡くなった家族もきっとそう思っていると思うよ」。
そして、言葉ではないが一つの形。三陸鉄道の切符。「釜石から復興未来行き」、諦めない限り有効。300円。ただ、泣いた。
数多く、かなりの時間を割いて作られたテレビの特番。テレビのスポット。相変わらず「絆プロジェクト」という言葉があり、多くのキャスターたちが、番組の締めに用意した言葉を発した。
「私たちは忘れません」「風化させてはいけない」「伝え続けます」「あらためてさまざまな事が問われています」。などなど。
用意された言葉は、練りに練られた言葉は、逆に上滑りしているかに聞こえる。
いわばテレビの常套句。
マイクを向けられ、咄嗟に反応して被災者たちの言葉の方がはるかに重い。その言葉に信を置く。
そして子どもたち。親を亡くした子供たちが、内面を覆い隠してつとめて明るくふるまい、けなげに言う。「勉強して消防士になりたい。看護師になりたい。なんでも人の役に立てる仕事につきたい」。つたない表現であっても、それは大人の心に突き刺さる。
摩耗された、大人が発する上滑りな言葉の洪水の中で、子どもたちは“真実”を言っている。
「3・11」が生み出したものがあるとすれば、強い子どもたちが生まれたことだけか。そこにだけ“希望”を見る。
「諦めない限り有効」。その切符そのものは持っていないが、その切符の中に込められたものを300円でボクは買ったつもりだ。そして、その切符を懐の中にしまいこむ。
陳腐で好きではないが、人生という旅。ボクの人生に、その切符を使わせてもらいたいと願う。
2012年3月13日火曜日
“チェルノブイリ”異聞
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