郡山に郷さくら美術館とういう日本の画家の作品を収蔵した美術館がる。
作った人は郡山の実業家。自宅に収蔵していたものを美術館を作って公開したのが約6年前か。
懇意にしていた人の故か、そこに足を運んでいなかった。何回も機会があったのに。
きょう。縁あってその郷さくら美術館に。新たに購入した作品も加えると90点あまり。
作品を見ているうちに奇妙な感覚にとらわれてきた。涙が出てくるのだ。泣いているのだ。なぜだ。
音楽を聴いて泣いたことはしばしばあってけど。絵画で泣くとは。
作家が何かを伝えているのか。見る側の情感なのか。
しばし、その前を離れられなかった作品。
村居正之という人の「アクロポリスの月」。ここにその絵を載せるわけにはいかないが、アテネにあった神殿、宮殿の廃墟。その宮殿の背後の夜空に浮かんでいる月。漆黒の闇を照らす月。
傍らにある「コメント」にはこう記されていた。
夜空を背景に立ち尽くす風化寸前のアテネ、アクロポリスの建物が、
神秘的な月の光に照らされて浮かび上がり、私の心を捉えて離さない。
かつては喜劇や悲劇が上演された円形劇場も、今は静かな眠りの時を迎えている。
夜の聖域は、昼間の雑音や余分な色も消え、静寂だけが支配する冷え冷えとした世界となり、今にも往時の人々が語らう声や奏でる美しい音色が聞こえてきそうな気持ちになる。
ヨーロッパ美術の源流を確かめようとギリシャに渡って以来、何度も足を運んできた。悠久の時を感じ、歴史を映す生き証人ともいえる古代遺跡を、日本画でどこまで表現できるか模索しながら制作してきた。
絵を眺めながら、見入りながら、悠久の歴史とは無縁であろう、被災地の光景がだぶってくる。重なりあう。
津波に流され、無人となった街。津波の痕跡をとどめるむき出しのコンクリートだけの建物の残骸。
被災地のあちこちに見られる光景。まさに廃墟。そこにも月が昇る。漆黒の街と対象的に明るい月が・・・。
アクロポリス。それがあのパルテン神殿なのかどうかはわからない。そこには数多くの人が行きかい、住み、笑い、踊り・・営みがあった場所。
作者の「コメント」を多少置き換えて見れば、古代と近代が“同居”したかのような。
福島県を含めて、被災地のも数多くの文化があった。伝統文化もあった。画家も文学者も輩出している。
その文化を「震災」があったからといって絶えさせてはならない。いや、文化こそが救いであり、心の糧になるのだと。
日々、ままならない暮らしの中にあっても、いまそこにある文化に触れる。そこで何か呼び覚まされるものがあるかもしれない。非日常へのつかの間の脱出が出来るかもしれない。
きょう、パソコンが完全にウイルスに犯された。文明の利器は弱い。文明の利器は、だれかのイタズラによって破壊寸前にもなる。
犯されたパソコンはもちろん遺跡にもなりえない。
美術館にも時々足を運ぶことになりそうだ。その作品に呼ばれているような気にさえなって。
2012年3月25日日曜日
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