2012年3月16日金曜日

「情報化社会」とは・・その1

情報化社会と言われるようになってから久しい。多くの人が、さまざまな手段で情報を手に入れ、それを以ってさまざまなことを判断していく。高度に文明が進化した社会。

でも、ちょっと立ち止まる。まず「情報」って何なのだろうと。もしそれを定義づけるとしたら・・・。

少なくとも「正確さ」というのがそれに求められている定義の一つではないのかと。

「3・11」後、避難所に満ち溢れていた言葉は、人々が必要としていたものが「情報」。情報が無い、情報が無い。何も目に入ってこない、耳に出来ないということで、パニック寸前の状態もあった。原発情報、避難情報も然り。

通信回線の途絶。それは情報化社会から断絶されてことを意味する。

<ここまで書いて来て、ボクは気づいた。携帯電話が手元にないことに。探したけどない。家に忘れて来た。それだけのことで、すでに、いささかパニック状態になりそうなボクがいる>

ロスタイム1時間弱。携帯はとってきましたが。だからか、この項、本日のアップ遅れました。

携帯電話、スマフォと使っていますが、これとて、広義の意味で情報ツールなのです。

ラジオ、テレビ、新聞、週刊誌、雑誌、単行本、ネット。ネットも幅広い。ツイッター、フェイスブックも含めて。さまざまな情報が、毎日、とんでもない数が飛び交っています。

たまたま、長年、テレビという情報を提供する側に立って仕事をしてきたせいか、情報にはやはり敏感です。

朝起きると、珈琲を飲みながらテレビを見る。情報番組を。いろんなことをやっている。今朝は新ipad。徹夜で並んだ人達を映し出し、まさに狂騒曲が奏でられているような光景。Ipadを情報ツールとしてみるのか、記録媒体ととらえるのか。それも様々でしょうが。それはともかく、テレビを切り上げ、新聞に。日によってざっと目を通すだけもあるけど、じっくり目を通すことも。しかも切り抜きまで。そしてネット。パソコン開いて、いざ・・・。スマフォでは字が小さくて読むのが無理だから。

ツイッター。140文字の範囲内で吐き出されている文字の数々。まともに付き合っていたら、いくら時間があっても足りない。どっかで適当に切り上げないと。しかし、この作業で午前中は終わってしまうのです。

昨日、今日。ネット上でかまびすしかったのが二つの誤報、嘘報、ねつ造記事。悪意に満ちた記事をめぐる様々。

週刊ポストにあった福島県や栃木県の高層道路のサービスエリアに大量に捨てられているという福島県産の土産の話。そして、フリージャーナリストと自称する上杉隆なるものがzakzakに書いた郡山の放射線量にまつわる話。

この手の話は無視するのが一番なのですが、相手にしない方がいいのですが、上杉になるといろいろ問題をはらむ。彼は田原総一朗に“珍重”されている人物だし、小沢一郎の“秘書”みたいなことやってる人物だし。

去年の大晦日、郡山発でやった田原総一朗の朝まで生テレビにも出演していた奴だし。信奉者もいるらしいし。彼を巻き込んで、ネット上でどんな論議やケンカが展開されているかはつまびらかにしないけど。

その記事の一つ一つを、一行一行を取り上げていちいち反論する気にもならないが。悪意に満ちたものとしか言えない。

もちろん、これも無視すればいいことだけど、あれだけネットで駆けめぐると、それ自体が「情報」になってしまうという矛盾というか危険性というか。

報道の自由なんだよね・・・言論の自由なんだよね・・・。

情報という名のリスク。放射線のリスクより高いかもしれない。数日、書いてみることにします。決っしてうっぷん晴らしということでなく。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...