去年の3月10日は木曜日でした。だれしもがそうだったように、普段と変わらぬ単なる冬の一日。
67年前の3月10日は東京大空襲があった。瓦礫だらけだった東京は30年後には復興を成し遂げていた。30年か・・・・。
去年の今日、2日前の塾での講義の内容をなんとなく振り返っていました。講義録を書くためにも。
「便利さがもたらしたもの」。それが講義のテーマでした。さまざまな文明の進化によって、我々は、あらゆる、想像しうる便利なものを手にした。豊かさを味わってきた。味わっている。安心・安全な“道具”も手にした。だけど、ちょっと待って。プレイバック、プレイバック。その代わりに何か失っていないか。
なんで引用したのか。夏目漱石の言葉を紹介していました。
「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まることを知らない科学は、かつて我々に止まることを許して呉れたことがない。」
なんとなく、まさになんとなく漠然とした不安を伝えたかった・・・。明日を予見したわけでは決して無く。
午前中、5月に予定されている講演の打ち合わせに東京からわざわざ足を運んでくれた会の運営者と打ち合わせ。午後には、「お悩み相談」受け付け(笑)。
そしてこのブログ書き。呑気なブログ内容です。このブログの主旨の一つだった“酒場談義”。
「ニッコウのから揚げください」「は?」「このメニューに書いてあるじゃないですか、日光の唐揚げって。珍しそうだから」「すいません、そ・れ・は・・・メヒカリです。。」
「なんだメヒカリか、じゃいらない」。
前日、居酒屋で遭遇した光景だったのです。ありふれた日常でした。
夜は誰かと酒を飲んでいました。酔って帰って、風呂入って寝て。
そして3月11日へ。ブログを書き終えて、連載のタウン誌の原稿を書きかけていたところに激しい揺れ・・・。混乱と散乱とにうずもれた神隠しの時間に・・・。
今夜、5月にある新樹会の打ち合わせ。おじさんたちとの酒飲み。新樹会のシンポジュウムの打ち合わせ。
去年は講演会の打ち合わせだった。今年は講演会ではないが、似たような集まりの打ち合わせ。
明日はー。多分何もないでしょう。ボクの周りでは。「祈り」の日にするつもりです。
「あれから一年」。そう銘打ったテレビの番組の数々放送されています。新聞も特集だらけです。テレビの映像とどう向き合うか。同じことのような新聞記事とどう向き合うか。
あの日の映像からは目をそむけたくなります。しかし、可能な限り凝視します。新聞も可能な限り読みます。疲れます。腹も立ちます。
キャスターと称する人たちが繰り出す薄っぺらな言葉の数々。疑問を投げかけるだけ、言葉だけで自己の責任を言うだけ。「風化させてはならない。だから伝える」と。
伝えるということが、それこそ津波のように一斉に同じようなことを、同じような場所で、まるで、それが「当たり前」のように特番を作っていることなのか。特集を組んでいることなのか。
見るのに疲れた人や嫌悪感を催す人は外に出て行くでしょう。広場に向かっているでしょう。それもよし。
しかし、僕は疲れても、辛くても、今の彼らが作っているものを見る。読む。それをしないと、彼らを時には批判し、時には共有するものを得ることが出来ないから。
そして思っています。
とにかく一年。「何にも変わっていない」、「変わらなかった」一年なのだと。明日から何か始まるのでしょうか。あすからがメディアの本質が問われる。それをわかっていてくれる人たちが必ずやいることを願うのです。
2012年3月10日土曜日
“チェルノブイリ”異聞
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
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新しい年となった。雪の中だ。 良寛の詩作を引く。「草庵雪夜作」の題名。 回首七十有餘年 首 ( こうべ ) を回(めぐ)らせば七十有餘年 人間是非飽看破 人間の是非看破(かんぱ)に飽きたり 往来跡幽深夜雪 ...
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そう、あれは6月の初めだったか。 急に視力が悪く、パソコンの画面が見え難くなった。 脳梗塞で入院した時、最初に診察してくれた当直の麻酔科の医師が「白内障が出てます。手術した方がいいですよ」と教えてくれていた。 その後転倒して、それも二回。 CT 検...