2012年3月27日火曜日

子供たちに教えられているということ

郡山にある児童詩誌「青い窓」。最新号でやっと震災特集を組んだ。
子供たちに書かせるのではなく、子供たちが書きたいと思って書くまで待ったような。

震災後も子どもたちは「言葉」失っていなかったように思う。ため込んでいた胸の内を文字にすることによって、書くことによって子どもたちは“解放”され、次へと向かう。

青い窓の巻頭の詩をお借りする。根木屋小学校六年の清信龍弥君の作品。

「ぼくには夢がある それはマッサージ師になること 三月十一日に震災がおきた だから 役に立てる人になりたい  それが出来なかったら 車を売る人になりたい 車がきゅうにこわれたら すぐに 直せるから
こまっているひとがいたらできるから
ぼくは いろんな人がこまっている時 たすけたり はげましたりすることが
好きだから なりたいんだ まだ震災が終わったわけではない だからたすけたい そう思う だから たすけたい たすけたい」。

清信くんは卒業した。卒業式で校長先生は「はなむけ」に子供たちに詩を贈った。毛利武という詩人の書いた「親から子に伝えたい17の詩」の一編。それを借りる。

                ~名前は祈り~
名前は その人のためだけに 用意された美しい祈り 若き日の父母(ちちはは)が 子に込めた  幼きころ 毎日 毎日 数え切れないほどの 美しい祈りを授かった 祈りは身体(からだ)の一部に変わり その人となった だから 心を込めて呼びかけたい 美しい祈りを

詩を通しての子供と先生とのこころの会話がそこにはある。

再び「青い窓」から引く。桃見台小学校六年の齊藤夏希ちゃんの詩。
          
            ~今、私に出来ること~
今、私に出来ること 家の人の手伝いをすること 地域の人にあいさつすること 節電をすること 毎日を楽しく過ごすこと そしてなにより
東日本大震災の悲しみに負けないこと 今も他県にひなんしている人に
復興のためにがんばっている人に 私達は元気だと伝えたいから
前とかわらない日々を当たり前のことをして過ごしつづける

多くの大人たちは、夏希ちゃんと“往復書簡”を書けるのだろうか。

選抜高校野球。聖光学院が初戦を突破した。福島県民は彼らから元気を貰った。

センバツ。あの言葉も忘れられない。選手宣誓。石巻工業の阿部翔人君。

「宣誓。東日本大震災から一年、日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には、苦しくて心の整理がつかず、今も、当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、悲しみに暮れている方がたくさんいます。 人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。しかし、日本が一つになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ、日本中に届けましょう。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう、日本の底力、絆を。 我々、高校球児ができること、それは、全力で戦い抜き、最後まで諦めないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います」。 

仲間と練りに練って読み上げた選手宣誓。球史に残る言葉だろう。

試合後、彼はこうも語っている。
「試合を頑張って、いろいろな客席のみなさんが『ありがとう』と声をかけてくれて、それが一番うれしくて。勝利を届けられなかったのが悔しくて、『ありがとう』と言ってくれたのが、本当にうれしくて、そこで涙が出ちゃいました。自分たちが、石巻・宮城・被災地を明るくできるのは、自分たちが貢献できることがあれば、全力でやりたいと思っている。自分たちがきっかけで、何かが動いてくれれば・・・」。

子供たちに大人は教えられている。毎日・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...