きのう、支援物資のことを書いた。今、「支援物資」はどうなっているのだろう。多くの、大多数の支援物資には、それなりの“善意”が込められていた。手書きのメッセージが添えられていたものもある。無駄なく、それを必要としている人たちに行きわたったのかどうか。
倉庫などにうず高く積まれていたものはどうなったんだろう。もちろんパンなどで消費期限の過ぎたものは破棄されただろうが。
被災地の自治体が他の自治体に、依然として必要な物資を支援要請しているのだろうか。
配布もままならず、眠ったままに、それこそお蔵入りになっているものはないだろうか。
たまたま物資に書かれていたメッセージを頼りに受け取った人と送った人との間に“交流”が生まれたという話は聞いたが。
メディアは一時、支援物資の必要性を伝え続けた。送った人達は、それに対する見返りを求めていないと思う。でも、その物資がどうかなったかは知りたいかもしれない。
「顔が見える支援」。そうした新しい試みが民間で芽生え、支援ファンドが作られた。お互い顔が見える支援。
物資がどうなったか。その結末を伝える記事やレポートをみてみたいような。
どっかの新聞に出ていた「社告」。今月いっぱいで義援金の取り扱いは終わりにするという。
新聞やテレビで呼びかけられた、街頭で呼びかけられ、集会で呼びかけられた義援金問題。
それの配分は、それが問題視されてから、もうずいぶん経ったとうのに、何億円、何十億円と言う義援金は行きわたった、配分はされたのだろうか。
自治体が有効に使っているという報道は見た事あるが、ちゃんと出来たのだろうか。
それに関する後追い報道には出会はない。
「ニュース」は毎日生まれ、毎日輩出される。震災以外にも伝えならねばならないニュースがあることは事実だ。それは必要だ。
「検証もの」も必要だけど、しなくちゃいけないことだけど、多くの善意の行方はどうなったのか。それが、それこそメディアの好む言葉である「透明性」を持ってつたえられなければ、その任にあたった人達が、ちゃんと処理しないと、今後に禍根を残すことは必定かと。
神奈川県の小学校の子供は「被災地が忘れられ始めている」と感じた。その子や友達はチラシを作った。「忘れないで」と手書きした。それをお惣菜屋さんに置いてもらい、包み紙に使って貰っているという。
この子たちに「復興未来行き」の切符をみる思いがする。子供たちの手書きのチラシはまさに未来行きの、諦めない限り有効な切符なのだ。
ちいさいような、そして、とても大きいような「抜け落ちたようなニュース」の存在。
2012年3月24日土曜日
“チェルノブイリ”異聞
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