2012年3月18日日曜日

「情報化社会」とは・・・その3

今月で被災3県もテレビはデジタル化しないと見られなくなる。
地上波テレビのデジタル化。
そのお題目の一つにあったのが「放送と通信の融合」。放射線量。詳しくは県のホームページをご覧ください。????。
BSのチャンネル数が増えた。そしてテレビ番組のオンデマンドという、いくらか金を払えばパソコンで“再放送”が見られる・・・。とりあえず思いついた二つの事例だが。

「融合」するはずだったのが、「情報」というカテゴリーの中では、両者は時にいがみ合いを演じる。特にネット社会からのテレビへの“役立たない“攻撃。
「4月からはテレビは見ない」と断言する人も。もちろんネット派だろうが。

アメリカでは新聞が大幅な部数減にあるという。ネットですべてこと足れりと。
日本でも、それは、顕著になりつつある。もっともそれは、情報の問題としてではなく、広告媒体としての価値という観点からだが。

その意味ではテレビも視聴者を減らしている。減収。勢いコストカット。何を指すかはともかく“良質の番組”は減った。元テレビ屋としても見るに堪えないものが多すぎる。
そんな現状を知っていながら、世界一高い電波塔を作って悦に入っている。それを東京名所として喧伝してる姿は奇っ怪にすら思えて・・・。

「情報弱者」という言葉がある。いや、そういう言葉が生まれた。デジタル化出来ない場所の人やデジタル化出来ない人。テレビだけが唯一の情報源だ。そう思っている人はまだまだ多い。

スマートフォン、ipad。もちろんパソコンも。高齢化社会の中にあって、それらを情報ツールとして使いこなしている人、それらに信を置き、慣れ親しんでいる人がどれほどいるのか。

例えば仮設住宅。避難所の時は毎日新聞が無料で配られていた。テレビは一台しかなかった。

仮設に移って、パソコンを設置し、情報収集から情報発信から、役立てている人もいる。
知り合いの仮設の住民。高齢者夫婦だったり一人暮らし。その人たちの情報源は、集会所の張りだしと、回ってくる“回覧版”。テレビだけが情報源。事実です。

何をどう伝えたか。新聞やテレビの検証記事や番組が始まるようになった。徹底的に検証してもらいたい。それは、社内の、取材にあたった記者達同士の議論から始めなくてはならない。中央で、本社で書いていた記事と、現場をはいずり回って書いた記事との「乖離」。

テレビも同様。

その時、何をどう伝えたのかの記録ではなく。

これから、「何をどう伝えて行くか」。その論議を徹底的に尽くしてほしい。少なくとも新聞は、「検証報道」や「調査報道」が出来る。

そして内部論議を尽くし、公開して欲しい。これからの情報化社会が成熟していく一里塚として。

そして原発問題にかかわる記事。朝日新聞の「原発とメディア」という連載が試みているように、メディアがこれまで、それをどう捉え、どういう論調で、論陣をはって来たか。とことん踏みこんで、もっともっとやってほしい。そして、「原発」に対する社論を明らかにしてほしい。くだらない政治報道にうつつを抜かしているよりは。

「情報弱者」。それは、ハードだけのことではない。受け取る側のリテラシー問題にもかかわってくる。それを考えると、次の課題が浮かぶ。「情報格差」という課題。送る側も受け取る側にもありうる課題。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...