祭りの後の侘びしさ。宴のあとのはかなさ。そんな想いの今日、3月12日。
去年の今日、ほとんど寝てないまま、テレビに見入っていました。民放のCM無し。L字に区切られたテレビの画面から送られてくる惨状の数々。
それは覚えているけれど、何を食べたか、どうしていたかはさっぱり記憶にありません。数日間の記憶が飛んでいます。
近くの旦那に誘われて水を買いに並んだのは覚えています。それが何時だったのか。公ちゃんが、チカリさんと一緒に、水とカップ麺などを持って来てくれた。それは多分、“今日”だったと思う。
まだ、あらゆる通信機能が回復していなかった。固定電話はもとより、パソコンもダメ。携帯も時々つながるメールだけだったような。
イッセイが多量の水と米、肉と野菜を持ってきてくれた。それが何時だったのか。
壊れたテレビは玄関に放置されたままだった。小さなテレビを大ちゃんに持ってきてもらった。壁のひび割れ、傾いた土台。地滑りした痕跡を物語る塀。壊れたまま散乱している食器の数々。
それらを写真に撮った。たび重なる余震。テレビの緊急速報。それだけな鳴る携帯のアラーム音。
幸い電気はついていた。水道はダメ。数日間。
何かをしなくてはならないと思いつつも、何も出来なかった・・・。
やがて数日経って、物流が動き出し、兄弟や知人から「支援物資」が送られてきて。
携帯電話がほぼ復旧してから、ツイッターには「拡散希望」が踊っていた。
亮介がタイベックススーツのようなものを持ってきた。風呂には何日も入っていなかった。突然、郵便受けに見舞いの葉書。郵便の回復は早かった。
そんな、こんなの断片的な記憶。気がついた時には避難所になったビッグパレットに通う日々。ゲンキ君の日課の散歩も無くなった・・・。
神隠しにあったような時間や日々。
それは昨日まで続いていたのかもしれない。きのうは何事も無く、黙とうを捧げ、所用で出かけた途中に出会った「原発反対デモ」に嫌悪感をもよおし。
メディアが伝えていた開成山球場のその集会。東京から来た多くの人達。それに混ざった、混ざらされた福島の人達。デモの旗には「なんとか労組」が並び。
くわえたばこで歩き、その吸殻を道端へ・・・。
郡山の空間線量とタバコ一箱との線量を比較する気はないけれど。
そして今日。何事も無かったような日になっている。テレビは通常編成に戻っているし。
去年の今日は、締め切りが迫っているタウン誌の原稿が気になっていた。パソコンが起動しないまま、何を書こうか考えていた。数日後届けたが。
そして今日、明日の塾の話の内容を考えている。
きのうまでの数日間、見ていた範囲でのテレビや新聞について、思うところ大なのだ。徐々に書く。
冒頭に書いた「祭」という字。そこには祭祀の意味が多分に込められている。
どう考えても、きのうは、静かに祈り、悔やみ、悼む日だったのだと。東京の銀座、和光の前でも黙とうがささげられた。新宿でも。そして日本各地でも。もちろん被災地各所でも。
開成山球場のシュプレヒコールが、それらと重ならない・・・。
2012年3月12日月曜日
“チェルノブイリ”異聞
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