東日本大震災後、どれだけ多くの人が「ボランティア」として現地に入っただろう。延べ何十万人、いや何百万人。避難所で食糧支援を手伝い、家の片づけをこなし、瓦礫の片づけに携わった。
一日、2万人近い人が全国各地から集まった。集まってくれた。
そのボランティアの数が急減している。一時の10分の一に。一日2千人弱に。
「ボランティア」。その“定義”は難しい。人を助ける。その一字では一致しているものの。何をするのかを含めて。
NPO法人としてのボランティアもいれば、個々人としてのボランティアもいる。
なぜ減ったのか。そこにもさまざまな問題が。ボランティア、それは「自己完結」が要求される。いや、そうだとされている。装備を自分のカネで整え、交通費を払い、食糧を調達し、寝場所も自分で確保・・・。
「行きたいけど行けない」。そう言っている人がいる。その人は決して裕福ではなく、仕事も持っている。でもボランティアに参加した。持ち出しになった金額は600万円を超えたという。無理だと・・・。これ以上は・・・。
ボランティアの現地での受け入れ窓口は基本、社会福祉協議会。そこの受け入れ態勢は未だ不備のまま。来られても対応出来ないと言った現実もあったという。それがメディアの話題になる。「来てくれなくてもいい」。そんな受け取り方をされるような報道も、参加意欲を削いだ。
現実。ボランティアは必要なのです。復旧・復興の文字や話題も上がる中、助けを必要としている人たちがいる。
東北の冬は寒い。きょうも季節外れのような雪。高齢者が多い仮設。雪掻きもままならない。
例えば福島県。医療従事者が足りない。医師も避難していった。看護師も。放射線技師だって。本人の使命感とは別に、家族からの避難要望。
医療機関の実態をつまびらかにしているわけではないが、そんなボランティアはなりたたないのだろうか。
ボランティアに参加した人たちは、直接、被災者と向き合う。被災地を見る。現実がわかる。そこにだけは、少なくとも“絆”が生まれる。
一過性のボランティア活動に参加して、それでよしとしている人たちは少ないのかも。また行きたいと思っている人たちが大勢いることを信じる。
雪が溶けて、雪がおさまって、春の気配が感じられるようになったら、またボランティアが来てくれることを願う。被災各地に。
蛇足のようだけど「反原発」を叫ぶためにだけ来る人たちはいらない。
三陸地方では早くから始まったという「復興ファンド」。福島の天栄村でも、米の「ファンド」が作られたという。都会の人が「参加」してくれているという。
もしかしたら、こういうことも「ボランティア」の一つかもしれないし。
2012年3月5日月曜日
“チェルノブイリ”異聞
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