2012年3月28日水曜日

自然に意志は無いということ

昨夜、久しぶりの緊急地震速報。携帯電話は鳴るし。そして揺れ。一応身構えました。余震は20回もあったという。

季節は巡っても、まだ収まりをみせないのか。地底は。

四季.自然の営み。自然の為せる業。所為。いかんともしがたいもの。
そして、あまりにも漠然とした、壮大な概念でしかとらえられないもの。自然。

言えることは、太古の昔から、人類は自然という呼び名のものによって生かされてきたということ。多くの恵みを受けてきたということ。もしかしたら、自然というものが為すことを、いや、そのものを恵みに変えたのは人類の英知だったのかもしれないが。

地震、津波。昔からあった自然というものがもたらす現象。その現象を人間は、さまざま努力しているものの、把握することは不可能だろう。結果としての現象はあったとしても、意志はないのだから。

自然に還ろう。自然と共生しよう。などなど、人類はさまざまなことを言った。
人間が何をしようと、たとえば草花を踏みつけようとも、咲くときは咲く。

人類の英知とされるものは、その自然の“恵み”をいかにして生活の中に取り入れることだけだったのだと。

だから、それは地中に埋まっていたものだったとしても、それを掘り出し、科学がそれを加工し、核にする。核にした。そして事故を招いた。

原子力発電所の“爆発”。“崩壊”。その事故に自然が関わっていたとすれば、それは自然が意志を持っていない、たまたまその時の現象だった風向き。

あの時、あの瞬間の風向きがどうであったかによって、その後の展開が決められた。

もし、仮に南への強烈な風がふいていたら、多分、首都圏が大量に汚染されていたはず。北西への風が吹く前は南への風が吹いていた。いわき方面へ。少なくともヨウ素は南下したはず。そして北西にはセシウムが飛んだ・・・。

SPEEDIを巡る議論が、未だ盛んである。隠ぺい、未公表から始まって、一年以上たっても。

県に送られていたSPEEDI1のデータが削除されていたという話も最近知った。計測に一時間以上かかるとか何とかで、安全委や学者の間で“対決”しているとも。

その可能性があるなら、それは、やはり、存在を把握出来た時点で公開、公表すべきだった。無用の混乱を生んだとしても。

無条件で30キロ制限をしておいて・・・。

原発はまもなく全機停まる。再稼働・・・ふざけんな。しかしー。
自然エネルギーなることにも違和感はある。風力・太陽光。自然に意志はないのだから、過去の計測値でいえば風は吹くだろうが・・・。常に太陽はさんさんとふりそそぐのか。
意志は無いのだから、自然は答えをくれない。

川内村にも風力発電のプロペラが回っている。住民は騒音と景観が侵されるということで、増設を“拒否”した歴史がある。

その川内村が今度はドイツの会社と提携し、太陽光発電基地を作ることで合意したという。どれくらいの規模の発電施設が、あの農地に中に作られるのか。
産業誘致ということで企業が雇用を創出するから是とするのか。
それが出来ることを理由に帰村を拒む人たちが出るのか。

消費税論議にしても、前提に経済成長率が言われる。エネルギー無しに成長はないと経済界の重鎮は言っている。

まだ成長しないといけないのか。そして、この夏、電力が足りる足りないの論議。電力会社は足りないというにきまっている。

足りないなら足りないなりの生活をするしかない。

こよなく自然を愛し、自然と共生することを選んでいた村。そこに、あの“よこしまなもの”が降った。あの日、風向きは決まっていたのだろう。そこに“よこしまなもの”が入り込んだ。

あの頃、毎日、テレビの天気予報で風向きを気にしていた。西風が吹けばいいと思っていた・・・・。

福島県の沖に洋上の風力発電所を建設する計画がある。漁民は反対しているとか。漁場が無くなるとして。

自然と人間との果てしない関係。誰も正解はもたないのだろうと。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...