2012年3月19日月曜日

「情報化社会」とは・・・その4

去年の3月12日。東日本大震災の翌日。長野県の栄村でも大きな地震があり、家屋は倒壊し、インフラも壊れ、道路も橋も。甚大な被害。

そのことはやがて若干伝えられるようになったが、世の中の耳目は、完全に東北に向いていた。まして原発事故。栄村の災害は殆ど伝えられていなかったに等しい。
未だもって、栄村に住み続けている人達は、あるいは原発避難民より過酷な状況にありようだ。

福島県でも須賀川市は大きな被害を受けた。藤沼湖のダムが決壊し、いまだ幼児一人が不明のまま。家屋の倒壊も郡山市より甚大だ。旧市内もかなりの被害。しかし、それを伝えるメディアの「扱い」は小さかった。

千葉の浦安の液状化も酷い。放射線は茨城県の一部にも飛散してるはず。事実、農作物への影響も大きく、当然賠償対象になるはずだが。それもあまり伝えられない。

「情報格差」と呼んでいいのかと思う。基本的にメディアは「横並び」である。同じようなところを集中して取り上げる。多くの人の関心を呼びそうなところに目が行く。

栄村の住民はほとんどが高齢者。情報弱者である。発信する術を持たない。

気仙沼の幼稚園の園長先生。園児達と一緒に、屋上で寒さに震え、近くで発生した火災の恐怖の中で地獄のような一夜を明かした。海外にいる息子にメールを送った。短い言葉で数行。海外にいる息子はツイッターを使い、惨状を発信した。拡散されたツイートが東京都の副知事の目にとまり、東京消防庁の防災ヘリが全員を救助した。

情報。そこに含まれる様々な問題点を考える。

逆の視点で見ると。例えば「瓦礫」。例えば「放射能」。伝えられる情報は全国同じである。しかし、それを受け取る側には、よく言われる「温度差」がある。

身近で感じているものと、直接接しているものと、そうではないところで見聞きしている人たちの、情報を受け取ることの温度差、格差。

だから、ボランティアで現地入りした人達は、大方、来てよかったという。自分で接したことによって考え方が変わったという。

少なくとも、あの瓦礫に覆われた町を見た人達は、処理反対などとは言えない。現地を見た人達の“情報”は、メディアの情報よりも、すぐれて真実を伝える。

放射能に関する情報も然り。そこで暮らしている人達。そうでない人達。同じ内容がメディアで伝えられても受け取り方には月とスッポンの違いがある。受け取る側の情報格差。
その差は埋めようがない。

受け取る情報は、情報としては“共有”出来ても、受け取り方にある大きな格差。

震災のずっと前から、「格差社会」とか「無縁社会」とかがメディアで言われて来た。それは“悪”だったはず。
しかし、震災で顕在化した、被災地をめぐる格差を解消するための方途をメディアはさがしあぐねている。

今日は3月19日。からから亭日乗をなんとか再開出来た日。「この国の姿」というタイトルで数日語った。去年の3月19日の記述にも、やはり「情報」という言葉が登場している。そして思う。一年前と一年後と。この国の姿は、根底においてなんら変わっていないような。

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