きょうは春分の日。お彼岸の中日。墓参り叶わぬ身、またもや弟に託して、花を求め仏壇に供え、手を合わせました。手を合わせるという行為。それは祈りの行為なのでしょう。
「右ほとけ、左われぞと合す手の、中ぞ床しき南無の一声」。そんな古い歌がある。
去年のお彼岸の日を思い出します。ほとんどの墓所は墓石が崩れ落ち、惨憺たるありさまでした。それでも、それこそ放射能で「外出自粛」が言われていた頃、倒れた墓石の中に、先祖の霊を弔おうと訪れた人達が数多くいました。
昔からの風習なのでしょうか。生花とともに、風車のようなものを供えます。赤や黄色の紙かセルロイドで出来た風車が、かすかな音を立てながら回っている。風に揺れている。
破壊しつくされた墓石と極彩色の彼岸花。そのコントラストは藤原新也の詩画の世界のようでした。彼の写真が切り取って来た世界。「日本浄土」や「何も願わない手を合わせる」。本の帯に書かれた数行。「愛するものの死をへてたどりついたもの。それは何も願わない ただ、手を合わせる」。
数字で表すことに抵抗感があるものの。1万5千人余りが、いや2万人に及ぶ人達が一瞬にして奪われた命。整えられない死者。
生者は、生かされた人達は、亡くなったであろう、無くなった場所を見つけて花を手向け、彼岸の祈りを捧げていることだろう。
たぶん、きょうは被災地にも穏やか天気があるだろうと。
藤原新也の本。メメントモリ。死を想う。
おそらく、あの津波にのまれて亡くなった人。その後の関連死。その人達はボクとは無関係な人達である。知人という意味では。だけど、その人たちの「死」をあらためて想う。
原発避難地。墳墓の地を追われた人達も、出来るだけその地におもむき、その地に近づき、墓に、またそれに類するものに手を合わせているだろう。
田舎人だから持っているのか。故郷論でも書いたが、墳墓の地が、先祖の霊が眠っているという地。そこはやはり「故郷」なのだ。春、夏のお盆、秋の彼岸。そこで祈り、語ることが生きているものの使命であるかのように。
死者と生者がどういうかかわりを持っていくか。
統治機構としての国が変わっていない中、突然に遭遇した、突然に襲われた多くの死者を見た人、体験した人。その死生観は大きく変わったのではないだろうか。
2週間前、我が家に出入りしていたクリーニング屋さんが突然亡くなった。突然に。その予兆は少しはあったものの。現実としてはあり得ないだろうと思っていた予感めいたものはあったものの。それは彼が亡くなってから、はじめて想起されたものだったけど。
彼が祀られた祭壇に花を手向けてきた。クリーニングに出したままだったシャツを奥さんから受け取ってきた。ビニール袋に入ったそのシャツは、いつもとは違うたたみ様に思える。そしてその仕上がったシャツが、彼が最後に手を触れたものだったのかもしれないと勝手に思ってしまう。そのシャツに手を通す気にはなれない。静かにしまっておきたいと思う。
1年前は崩れたままだった墓所も、大方は復元されている。その“他人”の墓所の前を通る。たしかに、手向けられて彼岸花が、花の使命を全うするかのように、穏やかに揺れていた・・・。
“チェルノブイリ”異聞
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