「3・11」後、ずっと浮かんでは消え、消えては浮かんできていた言葉がある。
「超法規的措置」。
1977年にあった日航機ハイジャック事件。赤軍派の要求に応じて、時の内閣総理大臣、福田赳夫が日本赤軍のメンバーなど6人を釈放、身代金つきで払い、人質を解放させた事件。その時に使われた言葉。そして福田の名言。「人命は地球より重い」。
3・11後。多くの人命が軽んじられている気がしてならない。被災地の話である。多くの支援物資が避難所に送られてきた。食料の炊き出しも。
支援物資は、そこにいる人数分集まらないと配れないと行政は言う。炊き出しには保健所が口を挟む。「食中毒は大丈夫かと」。おにぎりを握る女性たちは、暗に中止を求められたように受け取ったという。暖房の無い体育館で温かいものをとボランティアが炊き出しをしようとすると、「ここは火気厳禁です」と断られたという。
この手の話は前にも書いた。ビッグパレットに差し入れにいった郡山仏教会が数がそろっていなから、不公平になるからと言って受け取りを“拒否”されたという話を。
岩手や宮城の“行政”のあり方、かかわり方についても、行った人から「おかしい」という話を聞いた。
この話、今日の朝日新聞の記者有論というコラムに盛岡総局の木瀬公二という記者が書いていたこと。
またまた懐かしい名前に出会った。木瀬くんは20年以上前、会津若松通信局員だった。何かで親交を得た。いわゆる地方記者である。各支局や通信局を回る。若松の後は、たしか神奈川県の三浦半島のどこかの通信局に転勤してたはず。いつの間にか音信が途絶えていたが。
まさか盛岡にいて震災取材にあたっていようとは。なんともいえない”再会“である。そして相変わらずいい記事を書いている。
彼のコラムはこう書いている。法律や公務員の規律は本来、人が人らしく暮らすための道具であるはずだ。なのになぜ機能しないのか。悩んだ彼は秋田に住む、あの「たいまつ」で有名な元朝日新聞記者、むのたけじさんに聞きにいった。むのさんは即答したという。「人が法律の家来になっているからだ」と。そして、法律を生活の中で、日常雑器のようにがちゃがちゃつかわないといけないと。そして「法律を使う主人公になれ」と。
コラムのタイトルは「法律の家来になるな」だった。
折を見て木瀬くんに手紙を書こうと思う。久闊を叙すとともに、やっと、新聞がこのことを書いたなと賞賛しようと思っている。
この話は被災地の公務員だけの話ではない。また、そうでない人たちもいる。ボクの知ってる限りでも。だから一概に論じたくは無いのだが。
そしてこの話は国についても同じである。国会議員までもが、「家来」になっている。行政府もそうだ。
そして、なにかというと「マニュアル」という言葉を持ち出す。平時に出来た、作ったマニュアルが何の意味も持たないことを、あるいは、それをわかっていてても、それを盾にとって”防御“に走る・・・。東電とて然り。いや東電は、法律を逆に悪用さえしている。しようとしている。
家来か・・・。ボクは誰の家来でもないし、家来ももたないけど、強いて言うなら「自分の家来」かな。
福田赳夫の「超法規的措置」にはいろんな議論があった。今、いろんな意味で人命が軽んじられている事例は山ほどある。
非常時なのだ。超法規的措置があっても少しもおかしくは無いはず。
2012年3月23日金曜日
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