2012年3月17日土曜日

情報化社会とは・・・その2

携帯電話はもとより、通信手段が途絶された去年の今頃の避難所。テレビはある“試み”をした。

フリップ状の紙に名前や居場所を書いてもらい、知人や肉親に「安否」を伝える。探している肉親の安否を問い合わせる。いわば“テレビ伝言板”。
皮肉にも、情報機器が大量に出回っている中での、古典的、伝言板手法が有効な情報ツールだった。

やはり去年の今頃。いや、昨日か。福島中央テレビの「情報カメラ」が3号機の爆発の瞬間を捉えた。原発から17キロ地点に据え付けられていた情報カメラ。もちろん無人。郡山の本社でのリモートコントロールで向きを変える。
キー局の日本テレビはそれを使うことをしばし躊躇したというが、結局それを放送した。
情報が入らず、混乱の極みにあった官邸。映像は見たものの、それについてのコメントが出来ない。枝野は会見で言う。「なんらかの爆発的事象があったことは承知していますが・・・」。

あの映像情報が、さまざまな意味で与えた影響は大きい。偶然とは言え、テレビ史に残るものとなった。

ETV特集でやった「汚染マップ」も出色だった。しかし、それは事故後ずいぶん後の話。

原発事故後、テレビも新聞も、政府や東電、保安院の発表を「たれ流す」以外に情報を伝えるすべを持たなかった。もどかしい。そして登場してきたのが「専門家」と言われる数多くの学者。彼らだって「真実」はわからない。すべて推測。安全を言う学者は御用学者と評され、ことさら危険を言う人が珍重され。そして、その学者さん達の言は日替わりメニューのようにコロコロ変わったり。

大量に吐き出され、混乱する、錯綜する「情報」。それらがやがてメディア不信につながり、それは、今も解消されていない。

「匿名」のネットからは真偽取り混ぜた「情報」が。人心はますます混乱する。口コミというメディアが最大の情報とされてみたり。

成熟してない、成熟過程でしかなかった「情報化社会」。その中で起きた原発事故。

事故以前に「マスコミは、もはや政治を語れない」。新聞・テレビからブログ、ツイッターへ。そんな論陣を張った佐々木俊尚しは「キュレーター」をにんじるようになった。キュレーター。学芸員と訳せばいいのか。ある程度の専門知識を持った人が事象を読み解き、解説するということか。

その佐々木氏は最近こう言っているとか。「マスコミvsネット論は撤回する。今後は当事者性vsないものねだり論者という新しい対立軸で論考して行きたい」と。

「情報化社会のリスク」。それに我々は翻弄された。そのリスクをどうやったら回避できるのか。情報リテラシー能力を持てるのか。

「まず、接した情報を疑うことから始めよう」。それは「なぜ、僕は生まれたのだ」という哲学的思考、疑問から解決の道を探るような視点と同様に。

はきだされるすべての情報は、すべてが正しいものではない。立ち止まって考えても間に合う場合が多い。それは、去年のあの緊急避難時のことではなく、今の事であるのだが。

こんなことを書きながら、きょうも、実名、匿名入り交ざったツイッター画面を見ながら、リツイートされた数多くの「情報」に接しながら、「見極め」に頭を痛くしている亭主。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...