「絆」。嫌いな言葉である。ただ、それをだれが言うかによって好きにもなれる時がある。
選抜高校野球開幕。選手宣誓。彼が口にした絆という言葉は素直に受け取れる。
そして思う。こういう子たちがいる以上、やはり「未来」はあるし、未来を信じようと思う。その礎を築くのは我々大人だが。
「3・11」。もちろん去年のあの出来事。
きのう書棚の整理を試みてみた。1時間でギブアップ。一応読んだ本と未読の物とを整理するのでいっぱいいっぱい。老いとはこういうことか。
そして改めて気付いた。「3・11」の前、なぜか戦争の、戦後のこと、それに関する本をそこそこ買っていたことに。大半が未読。たとえば「それでも日本人は戦争を選んだ」。加藤陽子。「昭和史」2冊。半藤一利。
多分、昭和という時代をもう一回整理しておきたかったのだろう。そこを生きてきた者として。
戦争体験者として、あの劫火の中を逃げまどい、戦後の生活を体験したものとして、あの戦争は何だったのか、昭和という時代を自分なりに検証したかった。
そして、それらの関わる多くの本を読んだ。
たとえば、五味川純平の「人間の証明」。たとえば、松本清張の「昭和史発掘」。たとえば、大西巨人の「神聖喜劇全巻」。
自分の中に語り継ぐ戦争があり、それを理解したい昭和があった。
なぜ、去年のあの時期のちょっと前に、それらの「再検証」をしたかったのか。たぶん、そういう時だったのだろう。
未読のまま迎えた「3・11」。それを理解し、受け入れるために多くの言葉をさがした。詩人や文学者やジャーナリストと称する人たちが、そして宗教家が数多くの言葉を発した。しかし、残念なことに、それらは僕の心には届かなかった。
すべてが、他人事のように聞こえ。
心にとまったのは被災地の人間の発するナマの、訥々とした言葉。それと、言葉を選りすぐり凝縮させた短歌だった。
「3・11」後。災後。手当たりしだいとういってもいいくらいに本を買った。
その多くが、「記録」であり、ノンフィクションであり、大半は原発に関わるものだった。読破したものもあり、途中で投げ出したものもあり。
「説教臭い」ものには辟易させられ。
そして気付く。あるいはどこかにあるのかもしれないが、「3・11」を書いた文学が登場してこないことに。小説が登場してこないことに。
文学者、作家は“沈黙の森”にこもってしまったのか。
小説、文学は物語の中に、著者の限りないメッセージが込められている。ストーリーの展開のの中でつまびらかにされていくメッセージ。メッセージはわずか数行で書かれてもいいようなものだとしても、それが物語として綴られていくことによって、読む者の中に染み込み、刻まれていくものだ。
村上春樹は地下鉄サリン事件をテーマに「アンダーグラウンド」という大作を書いた。しかし、それが完成するまでにはかなりの時日を要したようだ。アンダーグラウンドはやがて1Q84に昇華していった。
多分、文学者が、それを、3・11を書くには、まだかなりの時間が必要なのかもしれない。なぜなら、すべてはまだ進行中なのだから。
もしかしたら、気の長くなるような待ち時間かもしれない。ボクの残された時間の中で、その文学作品に出合えることを待ち焦がれている。
さまざまな意味で言葉が失われてしまったような3・11後。再び言葉を取り戻すための作業をしてくれるのは文学者の、小説家の使命だと思うから。
誰が書くのだろう。ボクはひそかに高村薫に期待している。彼女の思索は深いと思うから。そして、他にもまだまだいるはず。それを書ける文学者が。
2012年3月21日水曜日
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