2013年11月7日木曜日

土地を奪われるということ・・・

どうやら政府は「帰還困難区域」を、まさに「住めない区域」とするようだ。

「どうやら」と書いたのは、その方針は決めているにも関わらず、時には石破に言わせて“観測気球”を上げ、経済産業大臣に言わせて“住民”の反応を探る。

住民理解、住民合意という不可解な言葉が横行している。それは政治の場だけでなく、マスコミや学者の間でも。

何を書いても最後に「住民の理解が必要」と”逃げ“を打つ。住民合意とか住民理解とか。地元の理解とか。それがあり得ないことだと知っていながら。知っていないでそんな言葉を常套句のように使っているなら卑怯だ。無知だ。

それはともかく、帰還が出来なくなる土地、そこの住民。「土地を奪われた民」と言ってもいいだろう。移住を支援するというが、どんな支援になるのかこころもとない。

安倍は発言しない。いつもそうだ。自分に都合のいいことは前面に出てぶち上げ、誇示する。
不都合になることは“部下”に言わせる。
きのうのクスリのネット販売解禁問題の決定だってそうだ。以前の国会答弁が食言にも成りかねないから。

放射能汚染がゆえに土地を奪われる。そう、奪われたという言葉が一番的を射ている。

例えばパレスチナ問題。その根源は土地を奪われた人たちの奪還運動、闘争なのだ。延々と続く争いの根源。

中国、新疆ウイグル地区の住民の”テロ“。それも、侵略され、そこには住んではいるものの、中国領土とされた人々の格差をめぐる闘争なのだ。

ソビエト連邦の崩壊、それも少数民族の、ソ連に土地を奪われた人たちの暴動に端を発したもの。それが”国“を崩壊させたということ。

大方の戦争なるものの発端は領土問題。古くからもそう。領土拡大を人は求めた。奪われた側はいつかは反撃に出る。

今、日本と言う国も領土にこだわる。竹島、尖閣、そして未解決の北方領土。

そしてTPPに絡んで、農政の転換、減反。農民は農地を放棄せざるを得なくもなる。

NHKの被災地からの声。福島市の大波地区の農家。コメを作る。それは生計の手段だけではない。土に触れてていること、コメを作ること、それが生甲斐なのだ。

田んぼは1年耕作放棄すれば、“復活”は至難の業。田んぼは毎年、季節が来ると、自然の摂理に従って耕さなければならないのだ。

それが線量検査で出荷停止になろうとも、土に生きる人たちにとっては、耕すことが“必然”なのだ。減反もある意味「土地を奪う」こととも言える。

原発事故で土地を奪われることになる人達。どこかに自らの“国”を作れるのか。「双葉自治区」なんていうのが誕生するのか。

とにかく言葉を発しない県知事。県の役人。国によって土地を奪われる人たちは、どこに寄るすべを見出せるのか。県は「機能不全」だ。
だから「自治区」とも言いたくなる。

永久に帰れない土地。それは古くて新しい問題。それが発生することは一昨年の時点でわかっていたこと。政治音痴の民主党政権が、何を恐れたのか、想像力の欠如による大失政。安倍内閣だけを責めるのは酷かもしれない。

しかし、「土地を奪われる」という事が、将来、何をもたらすのか。

天下国家を論じる人はまことにおかしなことを言う。被災地にには住民理解とやらを押し付ける。事故収拾に国費、税金をつかうことは「国民的理解が得られない」と言う。
理解を得る「国民」とは誰を指すのか。

2020年を控え、東京では地上げ屋が蠢動しはじめているかもしれない。
いや、移住先ともくされる県内でも、すでに地上げの動きが始まっているかもしれない。国費で移住を進める。またもや「国民的理解が得られるのだか」。そんな論調がまかり通るのかもしれない・・・。

2013年11月6日水曜日

「食の偽装」と“福島”と

大阪のホテルで発覚した「メニュー偽装」、「食の偽装」。出るは出るは。その他のホテルも高級料亭も、挙句有名デパートも。

さも有りなん。いつの頃からか、この国は“偽装国家”になったんだから。

10年も前か。耐震偽装があった。一級建築士が逮捕され、一時は大騒ぎ。でも、それだって今も行われているのかもしれない。

あの時、友人のジャズピアニストが上手いことを言った。
「耐震偽装の姉歯さん、頭部偽装も見えてます」。

外見の偽装は心の偽装につながる。外見を飾るといういうことは、心も虚飾で満たすことになる。

一昨年、原発事故後、前任者に替わって毎日会見していた、保安院のあの男。ばればれの頭部偽装。しゃべっていることも偽装だらけ。挙句、人生も偽装していたようだ。
彼のいう事は一言も信用出来なかった。

今回の偽装事件、どこまで引っ張られるのか。社長が辞めたとか、法改正がどうだとか、当面、尾を引くのだろう。
世間の目は、偽装した「食の提供者」にだけ向けられる。そこを利用した「消費者」なる人たちは皆“被害者”として扱われる。

でもね、高級ホテル、高級デパート。高級、高級。日本人の有名好みの体質がうまく利用されたんじゃないかな。
ブランド志向とでもいうのか。

高級なものは美味い。高級なものは安心。客の方だって自らが抱いている思い込みの中で“自爆”しているんだ。

まさか一流ホテルで、まさか一流のデパートが・・・。
「まさか」という思いこみ。「かさか」という原発事故があったにも関わらず。
原発の安全神話は崩れたとかなんとか言いながら、食の安全神話に酔っていたのではないかとも。

ダライラマがこんなことを言っている。
「私たちの住む家は大きくなったが、家族は小さくなった。知識は向上したが、判断能力は衰えた。利益は大幅に増えたが、その人間関係は少しも深くない。今の時代、窓の外側には多くがあるが、部屋の内側には何も無い」。

いつの頃からか「高級志向」がいいことだとされ、「食の安全、安心神話」にひたった。

東京や大阪や京都、都会で提供される食べ物、高級なもの、それらは、店構えの立派さと相まって、すべて安心、安全なものだと信じていた。自分の味覚や判断力は度外視して。

そして“福島”のものは、なんでも汚染されている、危険な食物だと思い込んだ。福島に人は住んではいけないと思いこまされた。
福島のコメを産地偽装しただのとはやし立てる。

なんか笑える、嗤える。

どうぞ、高いカネを出して、あやしげなものを食べて、心を満足させてくださいよ。
「ブランド信仰」を深めてくださいよ。

何かあると“生産者”を悪しざまに言う。消費者は”正義“の仮面に隠れる。

生産者体消費者。そのはざまにあるものは。“福島”から学んだはずだと思ってのに。
相変わらず消費者は被害者であり、生産者は加害者だという構図。

決して、「偽装」した側を擁護しているわけではない。まわりまわって“福島”にも影響してくる問題かもしれないから。

無条件にブランド、高級を信頼するという、“思考停止”が、この件にとどまらず、この国に蔓延している風潮だと指摘したかったから。

昨夜もすすけたような居酒屋で、福島県産の野菜を食べ、郡山でとれたイモで作った焼酎を飲み、自家製の漬物を食った。果物で締めた。

美味かった。

2013年11月5日火曜日

もう一つの「汚染」

原発作業員の賃金がピンハネされている。下請けのどこかの段階に暴力団関係の会社が入って、そこに“雇用”された、にわか仕立ての作業員の賃金が中抜きされている。

今に始まったことではないが、作業員自体が暴力団関係者ではないだろうが。
なにやらわからないが、4号機の燃料取り出し作業も準備や実証実験不足とやらに理由で延期になったとの報道もある。

何にしても作業員にまともな報酬はわたってないということ。国が前面に出ようが、金をつぎ込もうが、現場にある「カネ」をめぐるもう一つの“汚染”。

国が前面に出ることで、それが解決されるのだろうか。監督官庁の労働局も手をやいているのかも。

最近は暴力団を「反社会的勢力」と呼びならわすらしい。こじつけのようだが、東電には多くの金融機関、銀行が融資している。その事故を起こした現場には反社会的勢力の翳がある。

みずほ銀行は、反社会的勢力に、“不正融資”をしていた。この金融機関の“不正融資”なるもの、他行にもあったとか。

ばかばかしいからとりあえず年末ジャンボを買うのはやめた。だって、宝くじの売り上げが暴力団の資金源になっているなんてくだらない。

友人に暴力団関係者がいる。組員そのものではないけど、どうもかなりの影響力のある奴らしい。

「除染やらないかって話あったけど、面倒なので断った。やっていれば随分儲かったはずなのに・・」。そんなことをぼやいていった。
詳しは聞かなかったが、”除染“にも暴力団が入り込んでいる。

反社会的勢力が、社会的事業をするというこの不思議。

“原発”は、さまざまな意味で「カネ」に汚染されている。銀行もカネを扱うとこ。

大手銀行の幹部は年収1億円を超えていた。あり得る話だけど、一時は国に支援を求めていたはずの銀行。
責任をとって役員報酬を半年間半分にカットするという。半分だって5千万円。
それが許される社会なのだ。まっとうな企業経営者なのだ。

カネ、カネ。暮らしに戸惑う被災者がいる。それを食い物にするカネの亡者がいる。

暴力団って社会の“ダニ”か、いや、必要悪なのか。ゼネコンだって、どこかかで“水脈”を持っているとか。

カネ、カネ、カネ。

一流ホテルでの食い物が“偽装”されていた。どう言いわけしようが、金儲けじゃないの。目先の欲に目がくらんで、たぶん信用を失墜し、大損こくんじゃないかな。

そこの従業員がかわいそうに思える。

東電の黒字決算。コストカット成功がその一因だという。コストカットの経過で暴力団の「しのぎ」はどうなったんだろう。

東電にも、そこに融資している銀行にも、垣間見える反社会的勢力の影。そして東電も銀行も社会的企業だとされる。

むりやりの「こじつけ」もまんざらでもないかも。

事故当時の東電幹部、会長や社長。今はどこで何をしているのやら。一時は企業年金の返上も退職役員に迫った時もあったけど。
彼らの年収も銀行並みのものはあったはず。辞めても食うには困らない。食うぬはどころじゃない、贅沢な海外生活をしていたって何の心配もないはず。

貧乏人は僻みっぽいのであります。

そういえば昔はいたな。暴力団員だった国会議員。それを堂々と吹聴する。暴力団と“親密な関係”にある議員さんもずいぶん居たな・・・。

2013年11月4日月曜日

「3・11」が楽天を日本一にした

昨夜、少なくとも東北は野球に酔った。楽天イーグルスの日本一を喜んだ。
東北には巨人フアンが多い。阪神フアンもいる。でも今回は楽天の日本一を喜んで迎え入れていてくれていたようだ。

東北楽天イーグルス。プロ野球界の“綾”で生まれた球団。創立して10年になるかならないか。

いつも最下位か下位を低迷している球団だった。本拠地は宮城県仙台。東北という地に根付いた球団かどうかは、たとえば広島のように、微妙なところだったような気がする。

相撲で言えばいわば“平幕”。巨人は“横綱”。その横綱を食った。

東北出身の選手も少ない。岩手、普代村の銀次。仙台出身の斉藤隆などごく少数。

野球は個々の選手の能力もさることながら、やはり「皆でやる」スポーツだ。それは高校野球が証明している。

「3・11」当時、楽天は本拠地にはいなかった。キャンプで仙台を離れていた。やがて交通網が回復。彼らは“被災地”に赴いた。何度も訪れた。
被災者と交流を深めた。

被災地の人たちは、なにかの「支え」を必要としていた。物でなく心の支えを。
そして被災地の人たちは「皆で」という精神を持っていた。

リーグ優勝、クライマックスシリーズ優勝、日本シリーズ優勝。球場に駆け付ける多くの被災者がいた。
チームメートは被災地出身の銀次の同化していた。

野球を通して何か出来ることは。それをたぶん選手たちはわかっていたはず。嶋の言葉にそれが表れていた。
「見せましょう、東北の底力を」。

その言葉に被災地の人たちは奮起した。

仮設の集会場で、大泣きしながら勝利を称えていた人たちの姿がその証左だ。

星野監督はいいことを言った。「雀の涙ほどのものでも、東北の人たちに癒しを与えることが出来た」と。

同じようなことを、音楽家も言っていた。
「音楽に大きな力は無いが、少しだけ音楽を聞いて心を揺さぶるものがあれば」と。

被災地を知った人、被災地で学んだ人達は、皆、謙虚なのだ。

武道館を満員にしたアリスのツアー最終LIVE。会場とステージは一体化していた。
昨夜の宮城球場も観客も選手も一体化していた。

そこから生まれるものは何かあるはずだ。

政治とか行政とかとは全くのように無縁なジャンルに「力」がある。
東北の被災地は、多くの物を失った。人の命をはじめとして。さまざまな「負」をももたらした。

でも、そのおかげで、かけがえのないものを手に入れることも出来た。若者の力、皆なという精神。

それを具現化した一つが昨日の野球。

田中将大は人気ナンバーワンだ。しかし、一昨日の試合では負けた。きのうベンチ入りしていた。自ら「投げたい」と言ったという。それに星野は答えた。
彼を使うことが被災地の人たちの願いに通じるものがあり、何よりの励まし、プレゼントになると思ったからだろう。

負けても這い上がる。それをマウンドで確かめてもらいたかったからだと思う。
田中はピンチを招いた。勝ちにこだわる野球をする監督なら決して田中は使うまい。それを敢えて使った。そして、それに応えた。

「3・11」という出来事が、一つの球団を、そこの選手を成長させた。被災中の人たちが楽天を勝たせたのだ。勝手にそう思っている。

そして横綱、巨人の監督、選手も立派だった。負けてわるびれず。原監督は被災地に言及していた。

福島からも多くの人が宮城球場に駆け付けていた。球場内では「東北は一つだった」。

同じ時間、同じ場所で、同じ思いで声をあげる。それを共有した時に、新たな一条の光がみえるかもしれない。

たまには人は単純であったほうがいいのかもしれない。

福島県の高校サッカー。全国大会に富岡高校が行くことになった。強豪、郡山の尚志高校に勝って。きっと富岡の生徒たちを支えていたものがあるはずだ。
富岡の選手は、3・11で亡くなったチームメイトの遺影を持っていた・・・。

東北は立ち直れる。そんな予感がする。

2013年11月3日日曜日

「はせがけ」のある光景

稲を刈りとったあと、その稲を天日干ししてある光景。
この辺では「はせがけ」と言い、「はさがけ」とか「はざかけ」とかいう地方もある。「稲架掛」という字を書く。

稲刈りの時期、多くの稲は機械で刈り取られ、機械乾燥にされる。今の時代は。
天日干しは手間もかかるし、稲ワラを畳にするとか、家畜の餌にするとかもあったらしいが、「近代化」の名の元、多くはJAで機械乾燥され、保管、出荷ということになる。

手間をかけて、熟練の技で田んぼに置かれている「はせがけ」。天日干しの米はやはり、美味いという。

一昔前までなら、どこの田んぼでも見かけられた光景なのだろう。支柱にバツ印をかくように稲藁で固定された稲。

刈り取りの成果を誇示するようでもあり、時には田んぼの守り神のようにも見える。

そしてその姿には凛としたものをも感じる。

放射能で汚染された広大な福島の農地。30キロ圏内。川内村でも今年はコメが出荷された。その跡には「はせがけ」の風景があるのだろう。

試験栽培をしていた飯舘村。除染効果を調べるための田んぼ。そこでも稲刈りが行われた。避難先から農家の人が通って来ての稲刈り。手作業での技の刈り取り。

そこでも「はせがけ」はあるのだろうか。

食べられない米、誰にも食べてもらえない米。それを作る人たちの気持ち・・・。

手作業で植え付け、手作業で刈り取り。農家ならではの熟練の技が求められる。その担い手は高齢者ばかり。
「はせがけ」を作るのも伝統の技。

早期帰還を目指す動きがある。除染をして。でも、そこで従来通りの農作業はあるのだろうか。

おそらく「後継者」はいないはず。除染をして作付可能になったとしても、そこに「はせがけ」の光景は見られるのだろうかと。

日本の田園風景の一つが失われる。

TPP交渉がらみで、農政は大きな変革を求められることになるとか。減反問題だ。

昔から、まだ米価審議会というのが存在し、政府の買い取り価格を決めていた時代から、「猫の目農政」とよく言われた。毎年、毎年、農業政策がころころ変わるということを揶揄して。

政治の場で、農政は経済政策なのか社会政策なのか。

民主党政権時代、農家の戸別所得補償方式という政策がとられた。
減反政策、生産調整。

またぞろ農政が転換期を迎えた。TPPなるもので。

大規模農家に集約、企業による農地経営。すべてが「機械」に委ねられるのだろう。

農家は減少する。米の消費量は減る。後継者は不足する。それは実際の現状。
でも、農家で無いボクには、いかなる農政が正解なのかは論じられない。

傍観者として、ただ、美味いコメを食べたいという一消費者に過ぎない。

「米粒は残してはいけません」と親から教えられた。
「蓑着て傘着て鍬持って、お百姓さんご苦労さん」という歌を小学校で教わった。

そうだ、百姓という言葉も無くなったようだ。水飲み百姓という言葉もなくなったようだ。

専業農家は減り、多くが兼業農家になった。
食料自給率がどうだとか、耕作放棄地がどうだとか。

たんぱく質ダイエットなんて誰かが言い出し、米を食べない人が増えた。

「補償」の中で農家は存続していくということか。

我が家の犬は納豆ごはんが大好物だ。決して太ってはいない。

「はせがけ」はいつまで置いておかれるのだろうか。その光景を見ながら犬と散歩する。犬は田んぼには決して入れない。

犬の散歩を尻目に、猫が「はせがけ」の下をのんびり歩いて行った。小春日和の今朝の光景。

福島県産のコメを“一部の福島県民”が忌避する、そんな話がまたもや話題になっているし・・・。

2013年11月2日土曜日

「政治利用」ではない、「マスコミ利用」なのだ。

この男のやったこと、言ったことに言及するのは全く持って本意ではない。無視するのが一番なのだが、事、天皇に関することであるから書いて置く。

毎週金曜日の夕方、官邸前で行われている“反原発”の集会、再稼働反対を叫ぶ集会。そこのヒーローの一人が山本太郎なる人だった。

集会が盛り上がりを見せようとしていた時、「なんでマスコミは取材に来ないんだ」と口々に言っていた人たち。ネットで集まって来た人達。普段は「マスコミはけしからん」と罵詈雑言を浴びせていた人たち。

ある日、報道ヘリが来て、中継車が来て、名の知れたアナウンサーが登場すると、どこの局の誰が来たと歓声を上げていた。

もちろん参加者全員がそうではないが、「目立ちたがりや」の集まりのような気がしていた。

園遊会でこの男が天皇陛下に手紙を渡した件、マスコミはきょうになって大々的な報道を展開し始めた。しかも天皇の政治利用という視点で。

彼に対して怒りを持つこと。それは福島を利用しているということ。手紙には福島の子供を守って欲しい、原発作業員を守って欲しいというような事が書いてあったとか。

彼が先日福島に来た時、なんと、そのいでたちは“防護マスク”を着用しての福島市と郡山市での街頭演説もどきのようなものだった。彼の周りには、“おっかけ”のような人達と、被ばくを恐れる母親たちが囲んでいた。その横では普通の格好をした子供たちもいた。
「おかあさん、そんな恰好で子供を遊ばせていてはだめですよ、危険です」。そんなことは一言も言わなかった。

福島の子供たちを守る。彼にとっては「都合のいい口実」だったのに過ぎない。

看過出来ないのは、福島の実情を天皇陛下に知ってもらいたかったということ。
「お前よりはね、天皇陛下や美智子妃殿下は実情をよく知っているんだよ」。

皇室は何度も福島を訪れている。福島の実情をよくご存知だ。

山本太郎よ、キミは水俣に行ったか?、キミは広島、長崎の被爆者と話をしたか?沖縄の歴史を知っているか?

陛下の発言は、“制限”が多い。その限られた範囲の中で、言葉を発せられる。
水俣で「真実」と「正しさ」ということについて予定外の言葉を発せられたのはその証左だ。

その裏には、「政治利用された」ことへの不快感があったのだと推察する。例の憲法記念日に出席を“強要”され、そこでは何も発言されず、会場に突然こだました、安倍も唱和した天皇陛下万歳!の時のあの苦々しい表情。それを、婉曲にたしなめられたものだと思う。水俣での発言は。

新聞各紙やテレビが山本太郎のことを大々的に報じる。彼はたぶん「ほくそえんでる」だろう。うまく露出が出来たと。とにかくマスコミの寵児でありたいという欲望の持ち主なのだから。

まんまとマスコミは乗ってしまった。紙面の多くを使って。政治利用がどうだこうだと。

もうひとつ、マスコミの視点でのおかしさ。田中正造の直訴と合わせて論じていること。まったく次元の異なることなのだ。

明治天皇と平成天皇は置かれた地位が立場が違う。国家元首であった天皇と象徴天皇である平成天皇。
しかも田中正造は「覚悟」の程が違う。まさに身命を賭してだ。国会議員を辞職した上での行動。

田中正造と同列に置くのは、田中正造に対してあまりにも失礼だ。

皇室の目は、福島だけではない。被災3県、多くの被災者にも向けられている。津波の死者、津波で家を流されて今なお仮設暮らしを強いられている人たちに、あの“山本教団”の人たちは目がいかない。

「原発」を叫べば正義だと思っている。いや、彼らに正義と言う言葉は当てはまらないだろう。目立っていればいいのだから。

バカが一人いる。バカを国会議員にしてしまった人がいる。そのバカを教祖のように崇める人たちがいる。

だから、原発を阻止できないのだ。原発ゼロの国に出来ないのだ。

何も知らないのは彼ら。陛下はよく知っている。これも「無知」なるが故の浅知恵。原発推進派を勢い付かせるだけの愚行。

マスコミは“ネット”の代弁者ではないはずだ。いや、もうなってしまっているからな・・・。

2013年11月1日金曜日

「東電の黒字決算」に思うこと

東電の9月期中間決算で1,400億円を超す大幅な経常黒字となった。
最大の要因は電気代値上げによるものだという。
東電以外の10の電力会社も軒並み黒字決算。

今、日本では原発は一基も稼働していない。
「原発が無ければ、電力会社は赤字に転落する」。こぞって言われていたのに。

短絡的に言えば、原発が無くても電力会社は経営が維持できるということになる。

しかし、東電の決算は“粉飾”とは言わないが、うまいからくりの計算になっている。3兆円支払った損害賠償は特別損失。3兆円の除染費用も計上されていない。政府の支援があったからだ。

コストカットの影響も大きいという。その経費削減、コストカットが福島第一原発の作業員の待遇劣化につながっていないのか・・・。

黒字決算にしないと銀行からの融資が受けられないという理由から、無理矢理作った「決算」とも受け取れる。

とっくに“経営破綻”していてもいいはずの東電。それを「うるかして」おいて、黒字決算を作り上げる。
なんでだろう・・・。

黒字決算、1,400億円の利益計上。ならば福島県が請求している賠償費用や除染費用の請求に応じてもいいはず。町や村が起こしている請求に対しても。「金が無いから出せない」という理屈は通らなくなるはずとも。

東電への国の援助。税金を東電に注入することに多くの国民は異を唱えた。電力料金値上げにも異議を唱えた。

黒字である以上、その企業は存続する。
黒字ならもっと損害賠償などに手厚くしろよという議論にもなる。
でも、拒み続けるんだろうな・・・。

電力料金の値上げで黒字が出るという事は、それだけ電気の消費量が多いということにならないか。

冬場を控えて各電力会社は節電を訴える。

もし、仮に、電力依存のライフスタイル、社会システムを変えたらどうなる。電気の使用量が減ったら、電力料金による収入は減ることになるだろう。

とりあえず、今は、原発が無くても電気は足りている。電力会社は儲かっている。

「黒字になったのは一時的なもので、経営は依然厳しい」と経営者は言う。
「収益基盤は安定していない」とも。

電力各社は、再稼働を求める。「赤字体質はかわらない」として。

多くの国民は、数字の“マジック”かもしれない黒字決算と、原発再稼働のはざまで、揺れているはず。今は電気は足りているのだから。節電すればしのげると実感しているのだから。

節電による“減収”、値上げによる“増収”。

税金投入による東電の救済、値上げによる増収。いずれも「国民負担」を強いるもの。

傍ら、会計検査院がまた見つけた。復興予算の1,3兆円にも上る「流用」。被災地とは無関係に使われる復興予算と言う名の税金。
除染費用は60%が未消化だと指摘する。やる気があるのかないのか。

なにやかにやと理由は延べられるが、原発ゼロでも経営は維持されているというのが目下の現実、事実。

廃炉に向けての作業には、想像も出来ないような資金を必要とするだろう。一部地域での除染を断念し、移転計画にカネを使うという政府与党の方針。
中間貯蔵施設建設に向けての資金計画は。使用済み核燃料の貯蔵問題は、そのための積み立てに回るのかな。

結局、電力会社って「伏魔殿」なんだよな。黒字決算を喜んでいる奴はどういう奴らなんだろう。
配当を期待する株主か、金を貸せる銀行か。まさか役員報酬“引き上げ”ってことにはならないだろうな。

東電の決算が赤字であろうが黒字であろうが、福島の実相は何も変わらないということ。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...