2013年11月3日日曜日

「はせがけ」のある光景

稲を刈りとったあと、その稲を天日干ししてある光景。
この辺では「はせがけ」と言い、「はさがけ」とか「はざかけ」とかいう地方もある。「稲架掛」という字を書く。

稲刈りの時期、多くの稲は機械で刈り取られ、機械乾燥にされる。今の時代は。
天日干しは手間もかかるし、稲ワラを畳にするとか、家畜の餌にするとかもあったらしいが、「近代化」の名の元、多くはJAで機械乾燥され、保管、出荷ということになる。

手間をかけて、熟練の技で田んぼに置かれている「はせがけ」。天日干しの米はやはり、美味いという。

一昔前までなら、どこの田んぼでも見かけられた光景なのだろう。支柱にバツ印をかくように稲藁で固定された稲。

刈り取りの成果を誇示するようでもあり、時には田んぼの守り神のようにも見える。

そしてその姿には凛としたものをも感じる。

放射能で汚染された広大な福島の農地。30キロ圏内。川内村でも今年はコメが出荷された。その跡には「はせがけ」の風景があるのだろう。

試験栽培をしていた飯舘村。除染効果を調べるための田んぼ。そこでも稲刈りが行われた。避難先から農家の人が通って来ての稲刈り。手作業での技の刈り取り。

そこでも「はせがけ」はあるのだろうか。

食べられない米、誰にも食べてもらえない米。それを作る人たちの気持ち・・・。

手作業で植え付け、手作業で刈り取り。農家ならではの熟練の技が求められる。その担い手は高齢者ばかり。
「はせがけ」を作るのも伝統の技。

早期帰還を目指す動きがある。除染をして。でも、そこで従来通りの農作業はあるのだろうか。

おそらく「後継者」はいないはず。除染をして作付可能になったとしても、そこに「はせがけ」の光景は見られるのだろうかと。

日本の田園風景の一つが失われる。

TPP交渉がらみで、農政は大きな変革を求められることになるとか。減反問題だ。

昔から、まだ米価審議会というのが存在し、政府の買い取り価格を決めていた時代から、「猫の目農政」とよく言われた。毎年、毎年、農業政策がころころ変わるということを揶揄して。

政治の場で、農政は経済政策なのか社会政策なのか。

民主党政権時代、農家の戸別所得補償方式という政策がとられた。
減反政策、生産調整。

またぞろ農政が転換期を迎えた。TPPなるもので。

大規模農家に集約、企業による農地経営。すべてが「機械」に委ねられるのだろう。

農家は減少する。米の消費量は減る。後継者は不足する。それは実際の現状。
でも、農家で無いボクには、いかなる農政が正解なのかは論じられない。

傍観者として、ただ、美味いコメを食べたいという一消費者に過ぎない。

「米粒は残してはいけません」と親から教えられた。
「蓑着て傘着て鍬持って、お百姓さんご苦労さん」という歌を小学校で教わった。

そうだ、百姓という言葉も無くなったようだ。水飲み百姓という言葉もなくなったようだ。

専業農家は減り、多くが兼業農家になった。
食料自給率がどうだとか、耕作放棄地がどうだとか。

たんぱく質ダイエットなんて誰かが言い出し、米を食べない人が増えた。

「補償」の中で農家は存続していくということか。

我が家の犬は納豆ごはんが大好物だ。決して太ってはいない。

「はせがけ」はいつまで置いておかれるのだろうか。その光景を見ながら犬と散歩する。犬は田んぼには決して入れない。

犬の散歩を尻目に、猫が「はせがけ」の下をのんびり歩いて行った。小春日和の今朝の光景。

福島県産のコメを“一部の福島県民”が忌避する、そんな話がまたもや話題になっているし・・・。

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