2013年11月18日月曜日

「不満」と「不信」と「民主主義」と

きのう行われた福島市長選でも現職が敗れた。大震災、原発事故後にあった福島県内の市長選、郡山・いわき・福島と軒並み現職にNOが突きつけられた。

投票率、福島市は49,10%。いわき市は51,13%。郡山は45,01%。

仙台市長選は30,11%、川崎市長選は32,82%。その他の首長選挙でも投票率30%台が散見されていた。

福島県内の市長選、現職が敗れた原因は、いずれも「原発被害」に起因するという。除染対策、賠償支援問題・・・。市長の顔が見えないといわれ、進まない「原発事故」をめぐるもろもろの施策。その不満が市民有権者の中に澱のようになってたまっていたことは事実だ。

それがたかだか一市長の手腕をもってしては、どうにもならないことであるとはわかっていても。
「耐えきれない」「耐えられない」。人を変えればどうにかなるのではないか。そんな思いが鬱屈していたのだろう。

双葉町の町長も、富岡町の町長も矢面に立たされていた。その職では無くなった。

なんで冒頭に投票率の事を書いたか。大手マスコミの書き方が、福島市長選の前だったが、投票率をもってして、その低さを、あたかも「福島県民の民度の低さ」といわんばかりの記事を書いていたから。
30%台の都市部の選挙の事には触れずに。

選挙というものが”民主主義“の理念、制度からして、それを具象化するものとう立場に立てば、投票率の低さは民度の劣化である。

なぜ投票に行かないのか。誰がやっても同じ。誰がやっても変わらない。選挙そのものに関心が無い。政治に何も期待しない・・・。

“ねじれ”を解消し、安倍政権の独走を許した参院選。投票率は52,61%。戦後3番目の低さだった。50%強の“民意”。
自民支持率、得票率は35%程度。選挙制度の問題はあるが、それがこの国の民意。“民主主義”。

「3・11」後、多くの国民は、変わらなければならない、変わるべきだと、それぞれの立場で考えた。その「変わる」ということをボクは、一人一人の意識であり、社会システムの問題と捉えていた。
意識と制度。その相関関係は難しいが、変えるということに於いて政権交代が実現した。しかし、被災地の実情は変わらなかった。
多くの国民も、そこそこ豊かで、ありふれてはいるものの、居心地のいい日常に戻って行った。

非日常を日常とさせられた一握りの国民がいるにもかかわらず。そして、一握りの人たちは、自分たちで「変える」ことを選択した。

あえて余談になるかもしれないが書く。三つの市長選。不満・不信の裏に、流れに影響した「逃げた」という噂、デマ。本人は「不徳のいたすところ」というが、それが流布されていたこともまた事実。

変える。いい事かもしれない。が、こんな”名言“が政界にはある。
「本の表紙を変えても、中身をかえなければ駄目だ」。福島県選出の国会議員、伊藤正義が、竹下退陣のあとを受けての総裁候補に擬せられた時の言葉。
自分を本の表紙になぞらえ、”金権政治“からの脱却を目指そうとした自民党に対して、あえて”中身“という言葉に置き換えて言った言葉。

市長とは伊藤に言わせれば“表紙”。中身とは・・・。役所と言えなくもない。
役所の体質を変えねば、市民が望んだ施策はなかなか実現しないのかも。

そして、放射能対策、除染が進まないことへの苛立ち、怒り。それは本来国に向かられるべきことなのに、現職への不満として現れたということ。
たかが福島の一つの市の選挙。でも、現職に対する「NO」は国に対しての「NO」でもないのかと。

そして、市民は“変える”ということで、民主主義によって首長を選べる。市議も選べる。首のすげ替えも出来る。
でも、役人は選べない。任免権は無い。そして、事実上、この国を動かしているのは官僚。地方自治体を動かしているのも役人。

なんか“民主主義”ってどういうことなんだと思う・・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...