福島県の市長選挙、郡山から始まり、いわき市、福島市、きのうの二本松市。
いずれも現職が敗れた。富岡町長選でも、昨日の広野町でも現職が敗退した。
現職敗退のドミノ倒しとでも言おうか。
まだ市長選は残されている。来年には知事選もある。このドミノ倒し現象はいつまで続くのだろうか。選挙はゲームではないのだけれど。
いわゆる被災3県、その首長選で復興なるものを担い、それぞれの人が持っていた能力はたぶん出していたと思われるのに、現職が敗退を重ねているのは福島県だけ。
なぜか。それは「原発」なのだ。唯一の対策ともされる除染問題の進捗に、成果が見られないからだ。
仮置き場問題も含めて、除染対策は、住民にとっては愁眉の急。それがはかどらないということは、一自治体の能力を越えてきることと言えるかもしれない。
首長不信、新旧交代。おおまかに言えば、その要因は高齢や多選、重大な行政上の瑕疵。
皆が高齢だったのか。新人も似たり寄ったりの年齢のところもある。多選、福島市が一番長かったといえ4選目。
瑕疵。そこが問題だ。
「とにかく現職は嫌だった。だれでも良い。変わって欲しかった」。そういう住民の声が、この一連の選挙の実相を示しているということなのだろう。
誰でもよかったという選択。積極的意思とは言えない投票行動。
3・11で変わることを誓い、変わるべきだと思った人達。首長を変えることもその一つなのだろう。
人を変えて何かが変わるのか。郡山では変えたからと言って特段何も変わっていない。市民からは早くも“失望”に似た声すら聞こえ始めている。
とにかく何でもいい。現状を変えてほしい。変わりたい。そんな淡い期待が、選挙の結果に結びついていく。
その選択を決して否定はしない。しかし、現実、大差ない人への変更。
今、福島もある種の分断にさらされている。現職敗退と言うのも、ある意味、分断の象徴かもしれないと。
原発事故による生活破壊。環境破壊。除染も含め、生活再建は自治体で処理できる問題ではないのだ。
しかし、それらのことはわかっていても、目の前にある顔、それが見える顔であろうとも、見えなく映った顔であろうとも、そこに矛先を向ける以外になかったという地方の“民主主義”。うっぷん晴らしのような“民主主義”。
ある意味悲しい現実。だから変わった当人にしても、変えた市民にしても、勝利の喜びはほとばしってこない。
原発事故は福島の首長の在り方も変えた。
とにかく変えたかった。変えた。変えてどうなった。変えてどうなる。何も変わらない・・・。そんなメビウスの輪のような連鎖が福島県の中では続くのかもしれない。
国では、未だもって、除染費用をどこが払うのかでつばぜり合いのようなことが、まるで他人事のような縦割りの檻の中で行われている。
千葉県市川市の市長選投票率は21%余りだった。大阪の岸和田市は34%余りだった。
地方自治体の首長選、そこから見えるこの国の民主主義を誰か読み解いてはくれないか。単なる「不満」「不信」という言葉に埋没させるのではなく。
来年の知事選。それも、現職以外なら、誰でも良いからという選択肢になるのか。
国と対等にやりあえる、往時で言えば、腰の据わった気骨あふるる大名の登場を待つということなのだろうが。そんな人の動きすらも見えない福島県。
2013年11月25日月曜日
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